朝日日本歴史人物事典 「平福穂庵」の解説
平福穂庵
生年:弘化1.10.18(1844.11.27)
明治期の日本画家。羽後国角館(秋田県)生まれ。名は芸,通称順蔵。郷里で初め武村文海に円山四条派の絵を学ぶが,以後,ほぼ独学を通した。文久1(1861)年から京都に遊学し,師につかず風景写生や古画の模写に専念,慶応2(1866)年帰郷する。明治維新後,各種の博覧会で受賞,「乞食図」「乳虎図」(いずれも個人蔵)など,すぐれた描写力を示した。また明治5(1872)年北海道に旅行し,以後アイヌの図を多く制作,また自ら一時勤めた荒川銅山を「荒川鉱山全景」として描くなど,社会派的な意識と行動が認められる。同17年東洋絵画会学術委員となる。平福百穂 はその子,寺崎広業は弟子。
(佐藤道信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報