平良良松(読み)タイラ リョウショウ

20世紀日本人名事典 「平良良松」の解説

平良 良松
タイラ リョウショウ

昭和期の社会運動家,政治家 元・那覇市長。



生年
明治40(1907)年11月12日

没年
平成2(1990)年3月19日

出生地
沖縄県那覇市

学歴〔年〕
沖縄県立一中卒

経歴
上京して近衛師団の兵器部に勤め法政大学に通ったが、赤色救援会の活動を手伝って解雇。建設作業員などをして川崎周辺で活動したが脚気のため沖縄へ帰る。警察の監視付きで就職できず、昭和9年ペルーに渡り、リマ市で日本人学校の教師を8年間務めた。戦争のため1年余アメリカに抑留され、18年末、交換船で帰国途中、軍にとられるのがいやでフィリピン下船。21年沖縄へ帰り、村会議員、農業協同組合会長などをした後、29年から立法院議員を4期務め、また沖縄社会大衆党から那覇市長を4期務めた。反戦運動先頭に立ち軍事基地撤去を主張。著作に「反戦と自治」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「平良良松」の解説

平良 良松
タイラ リョウショウ


肩書
元・那覇市長

生年月日
明治40年11月12日

出生地
沖縄県那覇市

学歴
沖縄県立一中卒

経歴
上京して近衛師団の兵器部に勤め法政大学に通ったが、赤色救援会の活動を手伝って解雇。土方などをして川崎周辺で活動したが脚気のため沖縄へ帰る。警察の監視付きで就職できず、昭和9年ペルーに渡り、リマ市で日本人学校の教師を8年間務めた。戦争のため1年余アメリカに抑留され、18年末、交換船で帰国の途中、軍にとられるのがいやでフィリピンで下船。21年沖縄へ帰り、村会議員、農業協同組合会長などをした後、29年から立法院議員を4期務め、また沖縄社会大衆党から那覇市長を4期務めた。反戦運動の先頭に立ち軍事基地の撤去を主張。著作に「反戦と自治」がある。

没年月日
平成2年3月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平良良松」の解説

平良良松 たいら-りょうしょう

1907-1990 昭和時代の社会運動家,政治家。
明治40年11月12日生まれ。昭和9年ペルーにわたり,日本人学校の教師をつとめる。21年沖縄にかえり,沖縄社会大衆党から琉球立法院議員となる。のち那覇市長を4期つとめ,反戦反基地闘争の先頭にたった。平成2年3月19日死去。82歳。沖縄県出身。沖縄師範中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「平良良松」の解説

平良 良松 (たいら りょうしょう)

生年月日:1907年11月12日
昭和時代の社会運動家;政治家。那覇市長
1990年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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