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反戦運動 はんせんうんどう anti-war movement

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

反戦運動
はんせんうんどう
anti-war movement

戦争反対の意思が,平和追求への積極的な志向によって組織化され,戦争の発生を阻止し,あるいは現に行われている戦争を終結するための運動。大衆運動として明確な形をとるようになったのは,19世紀後半から 20世紀にかけての帝国主義時代に入ってからである。

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百科事典マイペディアの解説

反戦運動【はんせんうんどう】

戦争による惨禍や犠牲をいとう厭戦(えんせん)思想から発し,それが平和に対する積極的な意志によって組織化された運動。帝国主義戦争行われるようになった20世紀初めから明確化し,国際的となった。
→関連項目ストックホルム・アピール戦争抵抗者インターナショナル第2次世界大戦

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

反戦運動
はんせんうんどう
anti-war movement

戦争に反対する運動を総称して反戦運動という。しかし、「反戦平和」というように、反戦運動と平和運動は本来分かちがたく結び付いている。ここでは、平和運動のなかで、急迫した戦争の危機や現に行われている戦争に反対する運動をとくに反戦運動とよぶ。[伊藤成彦]

初期の反戦運動

近代の反戦運動は、近代帝国主義が成立して列強が植民地をめぐって激しく争った19世紀末から20世紀初頭に始まる。19世紀末には、朝鮮半島の支配権をめぐる日清(にっしん)戦争、ラテンアメリカとアジア・太平洋におけるスペイン植民地をめぐるアメリカ・スペイン戦争、南アフリカのトランスバール共和国とオレンジ自由国をイギリスが侵略したブーア戦争、中国の義和団の乱を口実に日本、イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリアの8か国が連合して軍事的に介入した北清事変などが相次いで起こった。最初の反戦運動は、帝国主義列強のこうした植民地支配を批判し、植民地をめぐる列強の対立がやがて世界戦争をよぶ危険を警告したもので、第二インターナショナル(1889創立)を構成する社会主義運動の左派の人々を中心に行われた。
 1900年9月、ドイツ社会民主党はマインツ党大会で初めて「世界政策」を議題として、中国を侵略したドイツ帝国と列強を批判し、ついで同年同月にパリで開かれた第二インターナショナルの大会では、ローザ・ルクセンブルクが列強の帝国主義政策を厳しく弾劾し、世界戦争をもたらす危険性を警告して全世界のプロレタリアートによる国際的反戦統一行動を提唱した。幸徳秋水(こうとくしゅうすい)の『帝国主義』(1901)は、この世界最初の反戦運動を反映したものであった。[伊藤成彦]

第一次世界大戦の勃発

列強の帝国主義対立はその後さらに深まり、日露戦争(1904~1905)、モロッコ事件(1905、1911)、バルカン戦争(1912~1913)からついに第一次世界大戦へと至る。これに対し、日露戦争では、幸徳らが「非戦論」を展開、与謝野晶子(よさのあきこ)は「君死にたまふこと勿(なか)れ」と歌い、第二インター・アムステルダム大会(1904)の席上で片山潜(せん)とプレハーノフの日露代表が並んで日露戦争に反対するなど、日本国内に反戦の気運が起こるとともに、反戦運動は国際化した。さらに、第二インター・シュトゥットガルト大会(1907)では、レーニンとローザ・ルクセンブルクの協力によって反戦とともに戦争勃発(ぼっぱつ)の場合は資本主義支配の廃絶に進むことが決議され、その決議はコペンハーゲン大会(1910)でもバーゼル臨時大会(1912)でも繰り返し確認された。また社会主義的な女性たちは1910年に国際婦人会議を招集して「平和のための戦い」を決議した。しかし、1914年8月に第一次世界大戦が勃発すると、各国社会主義政党は一斉に民族主義の立場にたって反戦決議は反故(ほご)にされ、西欧の社会主義政党で反戦行動を行ったのは、ローザ・ルクセンブルク、フランツ・メーリング、クララ・ツェトキンなどドイツ社会民主党左派に位置してスパルタクス団(ブント)を結成したグループだけであった。
 第一次世界大戦に対しては、ロシアのボリシェビキ、ドイツのスパルタクス団をはじめ、第二インターの左派を構成したグループが1915年にスイスのツィンメルバルトに集まって反戦国際会議を開き、ロシア革命を経て第三インターナショナルを結成する源流となった。またこの年、12か国から1126人の女性たちがオランダのデン・ハーフに集まって反戦婦人会議を開いて「戦争に対する戦争」を決議し、この運動は第一次世界大戦後には「平和と自由のための国際婦人同盟」へと発展した。[伊藤成彦]

第一次世界大戦の反省

第一次世界大戦は戦争にかかわった各国の全国民を巻き込んだ最初の総力戦であり、そこからロシア革命によって世界最初の社会主義国が生まれたが、戦争の被害は全ヨーロッパに及んだ。そのために戦後は、戦争への反省からさまざまな反戦運動が生まれた。たとえば、1919年8月に『ベルリン国民新聞』が呼びかけた「二度と戦争はごめん」Nie-wieder Krieg(ドイツ語)運動は、「戦争体験者平和同盟」を生み出し、カール・オシエツキやクルト・トゥホルスキーなどが参加して毎年9月1日を「反戦の日」Antikriegstag(ドイツ語)と定め、女性画家のケーテ・コルウィッツが有名な反戦ポスター「戦争に対する戦争――二度と戦争はごめん」を描いた。
 またフランスの作家アンリ・バルビュスは、第一次世界大戦に三度参戦して三度負傷し、その悲惨な戦争体験を『砲火』(1916)で描き、さらに戦後に反戦小説『クラルテ』(1919)を発表、『クラルテ』と題する雑誌を発行し、戦争の根源をなす資本主義体制の変革を主張してフランス共産党に参加した。当時フランスにいた小牧近江(おうみ)はこの運動の影響を受けて帰国し、雑誌『種蒔(ま)く人』(1921~1923)を発行、初めて幅広い反戦運動の思想を日本に伝えて、日本軍のシベリア出兵反対、ロシア革命擁護、軍備撤廃の運動を展開した。
 さらに、ロシア革命の世界的な影響のもとで1919年に起きた朝鮮の三・一独立運動と中国の五・四運動は、直接的には日本帝国主義の植民地支配と干渉に反対して民族独立を求めたものであったが、同時にその根底に反戦平和の主張を含んだものであった。1919年に成立した共産主義インターナショナル(コミンテルン)は、こうした帝国主義に反対して民族独立を求める諸民族の運動を支持するために、1927年に「反帝国主義民族独立支持同盟」(国際反帝同盟)を結成した。[伊藤成彦]

日本の反戦運動と反戦文学

日本では、1927年(昭和2)に成立した田中義一(ぎいち)内閣が中国の山東半島に出兵したことに対し、「対支非干渉全国同盟」が結成されて山東出兵反対運動が行われた。第二次山東出兵が行われた1928年には「戦争反対同盟」へと発展、1929年には「国際反帝同盟日本支部」が結成された。
 こうした政治的な反戦運動と並んで、文化界でも反戦運動が行われ、日本の左翼的文芸家を網羅した日本左翼文芸家総連合は、1928年に反戦小説集『戦争に対する戦争』を出版。さらにシベリア派兵に加えられた経験をもつ『反戦文学論』(1929)の著者黒島伝治は、山東出兵の現場、済南(さいなん/チーナン)を調査して反戦長編小説『武装せる市街』(1930、即日発禁)を発表、土佐の青年詩人槇村浩(まきむらひろし)(1912―1938)は日本の朝鮮・中国侵略を鋭く批判した反戦詩「生ける銃架」(1931)、「間島(かんとう)パルチザンの歌」(1932)を発表するなど、反戦運動は文学的にも優れた作品を生んだ。しかし、こうした日本の反戦運動と反戦文学は、済南事件(1928)から満州事変(1931)へと日本の中国侵略が深まるとともに、たび重なる弾圧によって逼塞(ひっそく)した。[伊藤成彦]

反ファシズム運動

一方ヨーロッパでは、ファシズムの台頭に対して、バルビュスがロマン・ロランの協力を得て1932年8月にオランダのアムステルダム(翌年はパリ)に世界の知識人を招集して国際反戦大会を開いて、反戦と反ファシズムのための幅広い統一戦線の形成を呼びかけ(アムステルダム・プレイエール運動)、1935年にはコミンテルンが第7回大会で反ファシズム統一戦線の形成へと戦術を転換した。さらに1936年6月には、アンドレ・ジッド、アンドレ・マルローなどの呼びかけによって世界の著名な作家たち(24か国、230人)がパリに集まって「反ファシズム文化擁護国際作家大会」を開催した。
 日本では組織的な反戦運動はすでに不可能であったが、知識人たちは同人雑誌『世界文化』(1935~1937)を発行して、こうした国際的な動きを伝えた。また、1937年(昭和12)7月、盧溝橋(ろこうきょう)事件を契機に日中戦争が始まると、キリスト教徒としての信念から「汝等(なんじら)は速やかに戦を止(や)めよ」と主張して東京帝国大学教授の職を追われた矢内原忠雄(やないはらただお)のような宗教者たちの反戦運動も記しておかなければならない。
 1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵入して第二次世界大戦が勃発すると、ドイツの知識人、キリスト教徒、社会主義者、共産主義者などは、国内で、あるいは国外に亡命して反戦・反ファシズムの運動を行い、またフランスをはじめベルギー、オランダ、デンマーク、ポーランド、ギリシアなどドイツ軍の占領地域では、ドイツ軍に対する果敢な抵抗運動が行われた。また、アジアでも、日本の侵略と戦争に対して中国の抗日運動をはじめ、日本軍占領下の各地で、さまざまな形での抵抗運動が展開された。そして、こうした第二次世界大戦下での反侵略抵抗運動から、戦後の民族独立運動と反戦運動が生まれてきた。[伊藤成彦]

第二次世界大戦後の動向

第二次世界大戦は第一次世界大戦とは比較にならないほど大きな惨禍をもたらした。とくに原子爆弾の登場は、戦争観を一変させた。そのために第二次世界大戦後の反戦運動は、原水爆禁止――核戦争反対(原水爆禁止運動)を基軸に展開され、とりわけ1980年代に中距離ロケットが開発されて「限定核戦争戦略」が登場すると、西欧、日本、アメリカに核戦争に反対する広大な大衆運動が広がった。また、第二次世界大戦後の米ソ(東西)対立を背景に起こった朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争などに対してもそれぞれ反戦運動が行われた。とくに1960年代から1975年まで、アメリカの介入によって起こったベトナム戦争に対しては、全世界的に反戦運動が展開された。
 第一次世界大戦に対しても、第二次世界大戦に対しても、反戦運動は戦争を防止することはできなかった。また、第二次世界大戦中に核兵器が巨大な発達を遂げたため、もし第三次世界大戦が起こるとすればそれは地球と人類そのものの破滅を意味するであろう。[伊藤成彦]

憲法第9条の意味

日本国憲法第9条は、戦争を防止できなかった過去の反戦運動と第二次世界大戦がもたらした悲惨な結果を背景にして制定された。だから第9条の発案者・幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)(当時首相)は、新憲法草案を審議した1946年(昭和21)8月27日の貴族院本会議で、憲法問題担当大臣として、第9条の意味を説明して、「実際此(こ)の改正案の第九条は戦争の放棄を宣言し、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占むることを示すものであります。今日の時勢に尚(なお)国際関係を律する一つの原則として、或(ある)範囲内の武力制裁を合理化、合法化せむとするが如(ごと)きは、過去に於(お)ける幾多の失敗を繰返す所以(ゆえん)でありまして、最早(もはや)我が国の学ぶべきことではありませぬ。文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速かに戦争を全滅しなければ、戦争が先(ま)ず文明を全滅することになるでありましょう。私は斯様(かよう)な信念を持って此の憲法改正案の起草の議に与(あずか)ったのであります」と述べた。
 日本国憲法第9条は、日本帝国の朝鮮・中国侵略に端を発して行われたアジア・太平洋地域での戦争で、数千万の人々の生命を奪い、数億の人々の生活を破壊した戦禍への責任と反省から制定されたものだが、同時に、憲法草案を審議した貴族院で幣原喜重郎が述べたように、戦後日本の反戦平和運動の「原点」をなすものであった。
 朝鮮戦争以後、1954年に「自衛隊」という名の軍隊がつくられ、さらにその後、「自衛隊」を正規の軍隊として合法化するための改憲の試みが繰り返し行われてきたことで憲法第9条は著しく傷ついてきたが、それにもかかわらず、憲法第9条は制定当時のまま存続し続けることで、戦後日本の反戦平和運動の「原点」をなし続けている。
 しかもそのうえに、戦後日本の反戦平和運動の「原点」としての憲法第9条を擁護する運動のなかから、憲法第9条が第一次世界大戦以後のアメリカ市民の反戦平和運動と、その結果としての「パリ不戦条約」(1928)に淵源(えんげん)するものであることがわかってきた。
 こうして憲法第9条は反戦平和の象徴としての意味をいっそう深め、冷戦が終結した1990年代には、アメリカで、オハイオ大学名誉教授で平和運動家のチャールズ・オーバビーCharles M. Overby(1926― )の提唱でつくられた「第9条の会」のように、国際化する兆しを示している。
 一方、冷戦が終結して核戦争の脅威は薄らいだが、冷戦の終結が非対称的に行われたために、アメリカを中心とする西欧諸国のNATO(北大西洋条約機構)一極支配の構造がつくられ、1991年の「湾岸戦争」から1999年の「ユーゴ空爆」、2003年の「イラク戦争」に至るまで、そのような一極支配を受け入れない国・勢力に対する集団的「武力制裁」が行われてきた。
 しかも「武力制裁」が、たとえば、クウェートに侵攻した当時のイラク大統領フセインへの国際的・集団的制裁や、当時のユーゴスラビア大統領ミロシェビッチによるコソボ自治州に住むアルバニア人に対する民族的抑圧を阻止するための「人道的介入」という名目で行われたために、大衆的な反戦運動が起こりにくくなった。
 それでも欧米では、いかなる名目にせよ武力行使を批判する反戦運動が行われた。日本では、反戦運動は自衛隊の海外派兵に反対する市民運動として行われたが、平和運動の中軸をなしてきた労働運動が1990年代には分散・弱体化したために、大衆的な反戦運動にまでは発展しなかった。
 現代日本での大衆的な反戦運動は、第9条擁護の護憲運動とともに、第二次世界大戦後半世紀を超えて存続する在日米軍基地に対して、その整理・縮小・撤去を求める運動という形で表れ、とくに在日米軍基地の75%が集中する沖縄県と巨大な横須賀(よこすか)・厚木(あつぎ)基地を抱える神奈川県で、反米軍基地運動が継続的に行われている。
 在日米軍基地は、日米安保条約を法的根拠としながら、「北朝鮮の脅威」を暗黙の了解として維持されてきた。2000年6月13~15日に韓国と北朝鮮の南北首脳会談が平壌(へいじょう/ピョンヤン)で行われ、6月15日に南北共同宣言が発表され、2002年(平成14)9月には日本と北朝鮮の間で日朝平壌(ピョンヤン)宣言がまとめられたことで、東アジアの軍事的・政治的緊張はいったんは緩和へと向かった。しかし、北朝鮮の核開発計画問題や、日本と北朝鮮との間に未解決の日本人拉致(らち)問題がある等、依然緊張は続いている。一方ヨーロッパでは、軍事中心のNATOに対して話し合いによる平和の創造を目ざすヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)の形成とヨーロッパ連合(EU)の拡大によって、新しい状況への期待が膨らんだ。
 こうして、人類は21世紀にも反戦運動を持続させるのか、それとも核兵器とともに戦争そのものを廃絶して、反戦運動を必要としない21世紀をつくりだすのかという大きな課題に直面している。[伊藤成彦]
『伊藤成彦著『軍隊のない世界へ――激動する世界と憲法第九条』(1991・社会評論社) ▽伊藤成彦著『軍隊で平和は築けるか――憲法第九条の原理と私たちの選択』(1995・社会評論社) ▽伊藤成彦著『ローザ・ルクセンブルクの世界』増補版(1998・社会評論社) ▽チャールズ・オーバビー著、國弘正雄訳『地球憲法第九条』(1997・講談社インターナショナル) ▽大田昌秀著『沖縄の決断』(2000・朝日新聞社) ▽大田昌秀著『沖縄、基地なき島への道標』(2000・集英社) ▽伊藤成彦著『9.11事件以後の世界と日本』(2003・御茶の水書房) ▽ディミトロフ著、坂井信義他訳『反ファシズム統一戦線』(大月書店・国民文庫) ▽片山潜著『反戦平和のために』(大月書店・国民文庫) ▽絲屋寿雄著『日本の反戦運動 戦前編』(労働旬報社・労旬新書)』

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世界大百科事典内の反戦運動の言及

【反戦・平和運動】より

…33年には,中国の上海で国際反帝同盟の計画による〈上海反戦会議〉が開かれたが,これを支持する運動も組織された。日本反帝同盟の活動や,上海反戦会議支持運動など一連の反戦運動では,1922年に非合法下で創立された日本共産党が指導的役割を果たした。だが,政府による共産主義者,社会主義者,ひいては自由主義者らへの弾圧は過酷をきわめ,この時期の反戦・平和運動は日本国民全体の運動には発展しなかった。…

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