日本歴史地名大系 「平良間切」の解説 平良間切ぴいさらまぎり 沖縄県:宮古諸島平良市平良間切宮古島の北部に置かれた琉球王国の地方行政区画。方音ではピィサラ。現平良市北部・東部から城辺(ぐすくべ)町の北東部にわたる一帯。平良大首里大屋子は嘉靖年間(一五二二―六六)に忠導氏二世玄屯が初めて任じられ、万暦一六年(一五八八)まで七代任命されている(宮古島在番記・御嶽由来記)。「球陽」尚豊王八年(一六二八)条に「麻姑山、始分平良・下地・砂川三郡」とあり、この年初めて三郡すなわち三間切が置かれたという。両島絵図帳に平等間切とみえ、東西一里二七町・南北二里六町で、「いきやたら村」(荷川取村)、「いり中宗根村」(西仲宗根村)、「あかり中宗根村」(東仲宗根村)、新里村(下里村)、松原村の五ヵ村が属し、高頭三千三一〇石余。正保国絵図では「平良間切(ひららまきり)」とあり、北から「入中曾根(いれなかそね)村」「あかり中曾根(なかそね)村」「新里(しんさと)村」「松原(まつはら)村」を記す。両島絵図帳の「いきやたら村」の記載がないが、位置関係などから入中曾根村は同絵図帳の「いきやたら村」、同じく「あかり中宗根村」は「いり中宗根村」、平良間切は「あかり中宗根村」と推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by