日本大百科全書(ニッポニカ) 「平記」の意味・わかりやすい解説
平記
へいき
平安中期から末期に至る、平親信(ちかのぶ)の『親信卿記』(972〔天禄3〕~974〔天延2〕)、彼の孫範国の『範国記』(1036〔長元9〕~1048〔永承3〕)、その弟行親の『行親記』(1037〔長暦1〕)、行親の子定家の『定家朝臣記』(1053〔天喜1〕~1062〔康平5〕)、範国の孫知信の『知信朝臣記』(1127〔大治2〕~1135〔保延1〕)、知信の子時信の『時信記』(1130〔大治5〕~1131〔天承1〕)の6つの日記の総称。高棟王(たかむねおう)流桓武平氏の彼らはいずれも実務官僚として蔵人(くろうど)・検非違使(けびいし)などを務め「日記(にき)の家」と称されたが、彼らの日記はこの時代の政治や社会を知る史料として貴重である。平信範らにより書写された『平記』は近衛家に献上されたが、信範の自筆本は彼の子孫の平松家の願いにより、江戸時代前期に同家に返還され、以後京都大学に所蔵されることになった。その他の平安時代の古写本が陽明文庫に伝存する。また平松家への返還に際して、近衛家煕(いえひろ)により書写が行なわれ、これは陽明文庫に伝えられている。『陽明叢書』・『歴代残闕日記』などに収められ、刊本として『続群書類従』(『親信卿記』『定家朝臣記』の各一部)、『続々群書類従』(『行親記』、『範国記』『知信朝臣記』の各一部)、『史料大成』(『知信朝臣記』の一部)がある。
[加藤友康]