藤原北家(ほっけ)の嫡流で五摂家の一つである近衛(このえ)家に長年にわたって伝襲された古文書、古記録、古典籍などを保存管理する特殊図書館。1938年(昭和13)近衛文麿(ふみまろ)によって現在地京都市右京区宇多野上(うたのかみ)ノ谷(たに)町に財団法人として設立された。「陽明」は近衛家の別称。近衛家はその家柄により各歴代のほとんどが摂政(せっしょう)・関白の要職につき、廟堂(びょうどう)に重きをなしたがため、必然的に記録文書類の膨大な蓄積をみた。また学術文芸面においても中・近世期に多くの優れた人物を輩出。これら歴代は詩文、和歌、連歌(れんが)など自らの作品を多く残すとともに、物語、歌書、注釈書などの伝本を書写・収集、文芸資料の伝襲に努めた。加えて近衛家では、応仁(おうにん)の乱(1467~77)などの戦時にはこれら記録文書類を速やかに疎開させるなど、代々その保全に努め、幸い散逸罹災(りさい)を免れた結果、質量ともに他に例をみぬ公家(くげ)史料の一大宝庫となった。
収蔵内容は国宝八件、国重要文化財52件を含む約20万点。『御堂(みどう)関白記』(藤原道長自筆日記)、『後二条(ごにじょう)関白記』(藤原師通(もろみち)記)などの歴代関白記、『宮田庄(みやたのしょう)文書』などの荘園(しょうえん)関係史料、『十巻本歌合(うたあわせ)』『類聚(るいじゅう)歌合』『琴歌譜(きんかふ)』などの文学関係資料、『大手鑑(おおてかがみ)』(古筆300余点所収)、『倭漢(わかん)抄』『熊野懐紙(くまのかいし)』などの古筆名跡類などが代表的資料。なお陽明文庫編集にて収蔵品の複製が刊行されており、『陽明叢書(そうしょ)・国書篇(へん)』『同・記録文書篇』『国宝大手鑑』『陽明墨宝』などがある。
[名和 修]
平安時代から明治時代にかけての1000年近くにわたり伝承された近衛家の家伝文書および典籍類,若干の美術工芸品を収蔵し,研究者に限定付きで公開される特殊文庫。京都市右京区に所在。〈陽明〉の名は,近衛家を陽明家とも称したことによる。近衛家は五摂家の筆頭として代々官職の高位にあったので,朝廷の公儀に携わることが多く,儀事典礼などの記録・文書類を残し保存したほか,代々好学の士が輩出して善本の収集に努めたので,それが膨大な数にのぼる。1000年の間には応仁の乱をはじめ多くの危機に見舞われたが,おもなものは連綿と受け継がれ,明治期に入ってから一時京都帝大へ寄託された後,1938年に当時の首相の近衛文麿により現在地に財団法人として設立された。収蔵品には藤原道長の自筆日記《御堂関白記》全14巻をはじめ,国宝8点,重要文化財49点を含み,文書数十万点,和漢の典籍数万冊を蔵する。
執筆者:竹上 深
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近衛家伝来の文書・記録・図書・美術品などを収蔵する文庫。京都市。その名は室町時代からみえるが,現在地において一括保存されるようになったのは,1938年(昭和13)近衛文麿(ふみまろ)によってである。文書・記録類が数十万点,図書類が数万冊といわれ,そのなかには「御堂関白記」「後二条師通記」(いずれも国宝)など近衛家代々の日記をはじめ,「陽明世伝」と称される古典籍,歴代の宸翰・宸筆多数を含む。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…中世,寺が多かったがおおむね廃絶。近衛家所伝の典籍記録を蔵する陽明文庫がここにある。《蜻蛉日記》の藤原道綱母は鳴滝に参籠(般若寺のことか。…
…現在は内閣文庫として伝わっている。そのほか近世には水戸の彰考館文庫,加賀前田氏の尊経閣文庫,近衛家の陽明文庫など,大名や藩による文庫のほか,篤学者による文庫,たとえば堀河塾の古義堂文庫,屋代弘賢の不忍(しのばず)文庫などもふえた。これらは上層階級向けの閉鎖的なものだったが,医師板坂卜斎の浅草文庫は,庶民に開放されたものとして特筆さるべきである。…
※「陽明文庫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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