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近衛家煕 このえいえひろ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

近衛家煕
このえいえひろ

[生]寛文7(1667).6.4. 京都
[没]天文1(1736).10.3. 京都
江戸時代中期の公家,書家。基煕の子。宝永4 (1707) 年関白,同6年摂政,同7年太政大臣。享保 10 (25) 年仏門に入り,予楽院と号した。礼典,詩歌,茶花の道にも通じた。書は御家流 (→青蓮院流 ) の和様書道に満足できず,藤原行成の書風に傾倒しその再興に努めたが,自運よりも臨書が巧みであった。

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百科事典マイペディアの解説

近衛家煕【このえいえひろ】

江戸中期の公卿(くぎょう),書家。関白,摂政,太政大臣を経て,准三后となり,剃髪(ていはつ)して真覚(しんかく)予楽(よらく)院と号した。書は初め賀茂流を学び,のち家伝の古名跡に習って和様の書人として一家を成した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

近衛家煕 このえ-いえひろ

1667-1736 江戸時代前期-中期の公卿(くぎょう)。
寛文7年6月4日生まれ。近衛基煕(もとひろ)の子。母は常子内親王。宝永4年(1707)関白,氏長者となり,摂政をへて,7年太政大臣。従一位。享保(きょうほう)10年(1725)准三宮(じゅさんぐう)となるが,同年出家。有職(ゆうそく)故実に通じ,和歌,書画,茶道などにもすぐれた。元文元年10月3日死去。70歳。号は予楽院,吾楽軒など。日記に「家煕公記」,画集に「花木真写」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

近衛家煕

没年:元文1.10.3(1736.11.5)
生年:寛文7.6.4(1667.7.24)
江戸中期の公家。代表的文化人のひとり,近衛家21代当主。予楽院,物外楼主人,青々林などと号した。父は関白太政大臣基煕,母は後水尾天皇の皇女常子内親王。延宝1(1673)年元服,同4年権中納言,元禄6(1693)年右大臣,宝永1(1704)年関白,その後,摂政,太政大臣を経て准三宮に至る。享保10(1725)年致仕。その後,河原二条に居を移して『唐六典』の校訂に力を注ぐ。茶の湯,立花,香,書画などをよくし,古筆断簡を整理した『大手鑑』(国宝,陽明文庫蔵)や百数十種の植物を写生した『花木真写』などが残る。 茶の湯は,梶井門跡常修院宮慈胤法親王から,後西天皇,興福寺門跡一条院宮真敬法親王らに伝わった宮廷の茶を学び,体系化して独自の宮廷茶の湯を確立し,これを教授。正徳3(1713)年から享保2年の間に自ら催した308会にわたる記録『御茶湯之記』(11冊)や,遺愛の後西院,千利休,小堀遠州などの茶杓31本を収めた『茶杓箪笥』(陽明文庫蔵)が伝存。自筆の日記として『家煕公記』が残る。また侍医山科道安が家煕の言動を記した『槐記』は,その博覧ぶり,人となりを窺うのに格好の資料である。自作の茶道具として茶碗や茶杓などがある。<著作>『槐記』(『茶道古典全集』5巻)

(谷端昭夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

近衛家煕
このえいえひろ
(1667―1736)

江戸中期の公卿(くぎょう)。関白基煕(もとひろ)の子。母は後水尾(ごみずのお)天皇の皇女常子内親王。関白、摂政(せっしょう)、太政(だいじょう)大臣、准三宮(じゅさんぐう)を歴任。1725年(享保10)落髪して法名を真覚といい、予楽院(よらくいん)と号した。吾楽軒(がらくけん)、昭々堂主人、虚舟子などの別号もある。学問を好み、詩歌、書、茶の湯、立花など諸芸に通じ、その博学、多識ぶりは侍医山科道安(やましなどうあん)が家煕の言行を集録した『槐記(かいき)』(11巻)にうかがえる。ことに書においては平安朝の上代様(じょうだいよう)の復興を志向した能書家として大成した。賀茂祠官で大師流の藤木生直(ふじきなりなお)、近衛家家臣の寺田無禅(むぜん)に書法を学んだとも伝えるが、習書法の中心は近衛家に伝わった和漢の古名跡の臨模にあった。陽明(ようめい)文庫に伝存する『予楽院模写手鑑(てかがみ)』には「喪乱帖(そうらんじょう)」「久隔帖(きゅうかくじょう)」「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」「継色紙(つぎしきし)」など225枚が収められ、日ごろの鍛練ぶりがうかがえる。[神崎充晴]

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