日本歴史地名大系 「平野郷町」の解説
平野郷町
ひらのごうちよう
摂津国住吉郡に属する。北東は平野川で限られ、北から東にかけて河内国渋川郡
〔戦国時代〕
交通の要地であるため当地一帯は度々戦場となった。応仁の乱勃発後、河内を中心に管領・河内守護畠山政長と畠山義就の間で合戦が展開され、文明一四年(一四八二)八月には政長軍が平野に討入っている(「大乗院寺社雑事記」同月二七日条)。明応二年(一四九三)には義就の死後その跡を継いだ基家を討つため、将軍足利義稙自らが河内に出陣した。このとき将軍方の本陣は正覚寺にあり、平野には斯波義寛が陣を構えた(平野郷町誌)。やがて管領細川氏にも内紛が起こり、天文一二年(一五四三)に細川氏綱と部将松浦興信が戦い、一〇月一二日氏綱は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報