末吉孫左衛門(読み)スエヨシマゴザエモン

デジタル大辞泉 「末吉孫左衛門」の意味・読み・例文・類語

すえよし‐まござえもん〔すゑよしまごザヱモン〕【末吉孫左衛門】

[1570~1617]江戸初期の商人大坂の人。名は吉安徳川家康厚遇を受け、朱印船巨利を得た。銀座役人になり、河内かわち国で代官もつとめた。

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精選版 日本国語大辞典 「末吉孫左衛門」の意味・読み・例文・類語

すえよし‐まござえもん【末吉孫左衛門】

  1. 安土桃山・江戸初期の貿易家。本名吉康。姓は平野とも。末吉船と呼ばれた朱印船をルソンシャムに派遣。大坂の陣では徳川方の陣地の工事にあたり、その功によって、河内国大阪府)志紀・河内両郡の代官に任命された。元亀元~元和三年(一五七〇‐一六一七

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改訂新版 世界大百科事典 「末吉孫左衛門」の意味・わかりやすい解説

末吉孫左衛門 (すえよしまござえもん)
生没年:1570-1617(元亀1-元和3)

安土桃山時代・江戸初期の豪商朱印船貿易家,代官。平野屋孫左衛門,また孫四郎とも称す。名は吉安(康)。末吉勘兵衛利方の長男。末吉氏は摂津国平野(郷)の古くからの名族であるが,父利方の代には諸国廻船業を営み,関ヶ原の戦で徳川方に協力し,その功により1601年(慶長6)家康から銀座頭役に任ぜられて特権的地位を得た。孫左衛門吉安は父とともに銀座の創設に参画し,07年に父の遺跡を継いだ。大坂両度の陣に際しては松平忠明らの徳川軍を平野に先導し,徳川秀忠陣営普請などに尽力した功によって河内国志紀,河内2郡の代官にも任ぜられた。またしばしば朱印状を交付されてルソンやシャム,トンキン等との朱印船貿易に活躍した。その船を末吉船と呼ぶ。跡を継いだ長男孫左衛門長方も,代官を務めるとともに鎖国に至るまで朱印船貿易に従事,また柏原船(かしはらぶね)(平野川を利用して河内国柏原村と大坂を結んだ川船)を創始したことなどで著名である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「末吉孫左衛門」の意味・わかりやすい解説

末吉孫左衛門
すえよしまござえもん
(1570―1617)

江戸前期、大坂平野(ひらの)の豪商、朱印船貿易家。名を吉康(よしやす)といい、平野孫左衛門とも称す。その父勘兵衛利方(としかた)とともに、早くより徳川家康にも接近し、関ヶ原の戦い後、1601年(慶長6)家康の命により伏見(ふしみ)銀座の創設に参画し、勘兵衛は頭役(かしらやく)を勤めた。07年父の跡を継ぎ、また大坂の陣の功により河内(かわち)国(大阪府)志紀(しき)・河内両郡の代官にも任ぜられた。幕府の重臣土井利勝(としかつ)、酒井忠世(ただよ)、本多忠勝(ただかつ)などや金地院崇伝(こんちいんすうでん)の知遇を受ける。また04年より16年の間、連年朱印状を受けて呂宋(ルソン)方面に商船を派遣して貿易に従事した。その子孫左衛門長方(ながかた)も父の跡を継ぎ、同様に河内・志紀両郡代官に任ぜられるとともに、毎年朱印船を東京(トンキン)方面に派遣して鎖国に及んだ。この末吉家の朱印船を末吉船と称し、京都の清水寺(きよみずでら)には、1632年(寛永9)11月、33年、34年と東京からの帰国船を描いた3面の末吉船の絵馬が献納されている。

[沼田 哲]

『川島元次郎著『朱印船貿易史』(1921・巧人社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「末吉孫左衛門」の意味・わかりやすい解説

末吉孫左衛門
すえよしまござえもん

[生]元亀1(1570).大坂
[没]元和3(1617).3.26. 大坂
安土桃山~江戸時代初期の海外貿易家。摂津平野の豪商で銀座頭役をつとめた勘兵衛利方の長子。名は吉安。利方の没後その跡を継ぎ,平野の年寄役をつとめた。大坂の陣には徳川方につき,徳川秀忠の本陣普請に功を立て,河内国志紀,河内両郡の代官に任じられた。幕府の重臣土井利勝,酒井忠世,本多忠勝らの知遇を得て,慶長初年から毎年朱印状を与えられルソン (呂宋) ,トンキン (東京) などに朱印船 (末吉船と呼ばれた) を派遣し財をなした。京都清水寺に奉納した3面の末吉船の絵馬は有名で,当時の貿易商人の形態や外国の風習を伝えている。 (→朱印船貿易 )

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百科事典マイペディア 「末吉孫左衛門」の意味・わかりやすい解説

末吉孫左衛門【すえよしまござえもん】

安土桃山時代から江戸初期にかけての大坂の豪商。朱印船貿易商人。銀座頭役末吉勘兵衛の子(養子とも)。徳川家康の命により父とともに銀座の創設に参画。大坂の陣の戦功により河内(かわち)国の志紀(しき)・河内2郡の代官に任じられた。幕府の創立以来,毎年朱印状を受けて〈末吉船〉をルソン,シャム,トンキンなどに派遣し貿易に従事した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「末吉孫左衛門」の解説

末吉孫左衛門
すえよしまござえもん

1570~1617.3.26

近世初期の豪商・銀座頭役・朱印船貿易家。諱は吉安(吉康),法名は道円。勘兵衛の後継者で,摂津国平野の代官。徳川家康の庇護のもと銀座頭役として銀貨の鋳造を行い,大坂の陣の功績により河内国志紀・河内2郡の代官に任じられ,世襲した。朱印船貿易家としても活躍。幕府の要人本多忠勝・土井利勝・板倉重政や以心崇伝(いしんすうでん)らと親交をもち,有数の政商として初期の幕府の流通政策に重要な役割をはたした。経営活動の根幹は,廻船業を介しての交通手段の支配にあった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「末吉孫左衛門」の解説

末吉孫左衛門
すえよしまござえもん

1570〜1617
江戸初期の朱印船貿易家
摂津(大阪府)平野 (ひらの) の豪商。銀座の創設に参加して年寄となり,大坂の役の功で河内(大阪府)の代官に任命された。幕府の朱印状をうけ,ルソンに貿易船(末吉船)を派遣して活躍した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末吉孫左衛門」の解説

末吉孫左衛門 すえよし-まござえもん

末吉吉安(すえよし-よしやす)

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世界大百科事典(旧版)内の末吉孫左衛門の言及

【柏原[市]】より

…【秋山 道雄】
[歴史]
 大和川と石川の合流点に在郷町として発達し,了井川,平野川の水運によって柏原~大坂間を上下した柏原船で有名。柏原船は,代官末吉孫左衛門が洪水で荒廃した柏原村復興策として計画し,1636年(寛永13)秋に開設された。このとき船主たちによって古新町の西側に新町が建設された。…

※「末吉孫左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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