安土桃山時代・江戸初期の豪商,朱印船貿易家,代官。平野屋孫左衛門,また孫四郎とも称す。名は吉安(康)。末吉勘兵衛利方の長男。末吉氏は摂津国平野(郷)の古くからの名族であるが,父利方の代には諸国廻船業を営み,関ヶ原の戦で徳川方に協力し,その功により1601年(慶長6)家康から銀座頭役に任ぜられて特権的地位を得た。孫左衛門吉安は父とともに銀座の創設に参画し,07年に父の遺跡を継いだ。大坂両度の陣に際しては松平忠明らの徳川軍を平野に先導し,徳川秀忠の陣営の普請などに尽力した功によって河内国志紀,河内2郡の代官にも任ぜられた。またしばしば朱印状を交付されてルソンやシャム,トンキン等との朱印船貿易に活躍した。その船を末吉船と呼ぶ。跡を継いだ長男孫左衛門長方も,代官を務めるとともに鎖国に至るまで朱印船貿易に従事,また柏原船(かしはらぶね)(平野川を利用して河内国柏原村と大坂を結んだ川船)を創始したことなどで著名である。
執筆者:杣田 善雄
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江戸前期、大坂平野(ひらの)の豪商、朱印船貿易家。名を吉康(よしやす)といい、平野孫左衛門とも称す。その父勘兵衛利方(としかた)とともに、早くより徳川家康にも接近し、関ヶ原の戦い後、1601年(慶長6)家康の命により伏見(ふしみ)銀座の創設に参画し、勘兵衛は頭役(かしらやく)を勤めた。07年父の跡を継ぎ、また大坂の陣の功により河内(かわち)国(大阪府)志紀(しき)・河内両郡の代官にも任ぜられた。幕府の重臣土井利勝(としかつ)、酒井忠世(ただよ)、本多忠勝(ただかつ)などや金地院崇伝(こんちいんすうでん)の知遇を受ける。また04年より16年の間、連年朱印状を受けて呂宋(ルソン)方面に商船を派遣して貿易に従事した。その子孫左衛門長方(ながかた)も父の跡を継ぎ、同様に河内・志紀両郡代官に任ぜられるとともに、毎年朱印船を東京(トンキン)方面に派遣して鎖国に及んだ。この末吉家の朱印船を末吉船と称し、京都の清水寺(きよみずでら)には、1632年(寛永9)11月、33年、34年と東京からの帰国船を描いた3面の末吉船の絵馬が献納されている。
[沼田 哲]
『川島元次郎著『朱印船貿易史』(1921・巧人社)』
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1570~1617.3.26
近世初期の豪商・銀座頭役・朱印船貿易家。諱は吉安(吉康),法名は道円。勘兵衛の後継者で,摂津国平野の代官。徳川家康の庇護のもと銀座頭役として銀貨の鋳造を行い,大坂の陣の功績により河内国志紀・河内2郡の代官に任じられ,世襲した。朱印船貿易家としても活躍。幕府の要人本多忠勝・土井利勝・板倉重政や以心崇伝(いしんすうでん)らと親交をもち,有数の政商として初期の幕府の流通政策に重要な役割をはたした。経営活動の根幹は,廻船業を介しての交通手段の支配にあった。
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…【秋山 道雄】
[歴史]
大和川と石川の合流点に在郷町として発達し,了井川,平野川の水運によって柏原~大坂間を上下した柏原船で有名。柏原船は,代官末吉孫左衛門が洪水で荒廃した柏原村復興策として計画し,1636年(寛永13)秋に開設された。このとき船主たちによって古新町の西側に新町が建設された。…
※「末吉孫左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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