末吉孫左衛門(読み)すえよしまござえもん

日本大百科全書(ニッポニカ)「末吉孫左衛門」の解説

末吉孫左衛門
すえよしまござえもん
(1570―1617)

江戸前期、大坂平野(ひらの)の豪商、朱印船貿易家。名を吉康(よしやす)といい、平野孫左衛門とも称す。その父勘兵衛利方(としかた)とともに、早くより徳川家康にも接近し、関ヶ原の戦い後、1601年(慶長6)家康の命により伏見(ふしみ)銀座の創設に参画し、勘兵衛は頭役(かしらやく)を勤めた。07年父の跡を継ぎ、また大坂の陣の功により河内(かわち)国(大阪府)志紀(しき)・河内両郡の代官にも任ぜられた。幕府の重臣土井利勝(としかつ)、酒井忠世(ただよ)、本多忠勝(ただかつ)などや金地院崇伝(こんちいんすうでん)の知遇を受ける。また04年より16年の間、連年朱印状を受けて呂宋(ルソン)方面に商船を派遣して貿易に従事した。その子孫左衛門長方(ながかた)も父の跡を継ぎ、同様に河内・志紀両郡代官に任ぜられるとともに、毎年朱印船を東京(トンキン)方面に派遣して鎖国に及んだ。この末吉家の朱印船を末吉船と称し、京都の清水寺(きよみずでら)には、1632年(寛永9)11月、33年、34年と東京からの帰国船を描いた3面の末吉船の絵馬が献納されている。

[沼田 哲]

『川島元次郎著『朱印船貿易史』(1921・巧人社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「末吉孫左衛門」の解説

末吉孫左衛門
すえよしまござえもん

[生]元亀1(1570).大坂
[没]元和3(1617).3.26. 大坂
安土桃山~江戸時代初期の海外貿易家。摂津平野の豪商で銀座頭役をつとめた勘兵衛利方の長子。名は吉安。利方の没後その跡を継ぎ,平野の年寄役をつとめた。大坂の陣には徳川方につき,徳川秀忠の本陣普請に功を立て,河内国志紀,河内両郡の代官に任じられた。幕府の重臣土井利勝,酒井忠世,本多忠勝らの知遇を得て,慶長初年から毎年朱印状を与えられルソン (呂宋) ,トンキン (東京) などに朱印船 (末吉船と呼ばれた) を派遣し財をなした。京都清水寺に奉納した3面の末吉船の絵馬は有名で,当時の貿易商人の形態や外国の風習を伝えている。 (→朱印船貿易 )

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百科事典マイペディア「末吉孫左衛門」の解説

末吉孫左衛門【すえよしまござえもん】

安土桃山時代から江戸初期にかけての大坂の豪商朱印船貿易商人。銀座頭役末吉勘兵衛の子(養子とも)。徳川家康の命により父とともに銀座の創設に参画大坂の陣の戦により河内(かわち)国の志紀(しき)・河内2郡の代官に任じられた。幕府の創立以来,毎年朱印状を受けて〈末吉船〉をルソン,シャム,トンキンなどに派遣し貿易に従事した。

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精選版 日本国語大辞典「末吉孫左衛門」の解説

すえよし‐まござえもん【末吉孫左衛門】

安土桃山・江戸初期の貿易家。本名吉康。姓は平野とも。末吉船と呼ばれた朱印船をルソン、シャムに派遣。大坂の陣では徳川方の陣地の工事にあたり、その功によって、河内国(大阪府)志紀・河内両郡の代官に任命された。元亀元~元和三年(一五七〇‐一六一七

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旺文社日本史事典 三訂版「末吉孫左衛門」の解説

末吉孫左衛門
すえよしまござえもん

1570〜1617
江戸初期の朱印船貿易家
摂津(大阪府)平野 (ひらの) の豪商。銀座の創設に参加して年寄となり,大坂の役の功で河内(大阪府)の代官に任命された。幕府の朱印状をうけ,ルソンに貿易船(末吉船)を派遣して活躍した。

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世界大百科事典 第2版「末吉孫左衛門」の解説

すえよしまござえもん【末吉孫左衛門】

1570‐1617(元亀1‐元和3)
安土桃山時代・江戸初期の豪商,朱印船貿易家,代官。平野屋孫左衛門,また孫四郎とも称す。名は吉安()。末吉勘兵衛利方の長男。末吉氏は摂津国平野(郷)の古くからの名族であるが,父利方の代には諸国廻船業を営み,関ヶ原の戦で徳川方に協力し,その功により1601年(慶長6)家康から銀座頭役に任ぜられて特権的地位を得た。孫左衛門吉安は父とともに銀座の創設に参画し,07年に父の遺跡を継いだ。大坂両度のに際しては松平忠明らの徳川軍を平野に先導し,徳川秀忠陣営普請などに尽力した功によって河内国志紀,河内2郡の代官にも任ぜられた。

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世界大百科事典内の末吉孫左衛門の言及

【柏原[市]】より

…【秋山 道雄】
[歴史]
 大和川と石川の合流点に在郷町として発達し,了井川,平野川の水運によって柏原~大坂間を上下した柏原船で有名。柏原船は,代官末吉孫左衛門が洪水で荒廃した柏原村復興策として計画し,1636年(寛永13)秋に開設された。このとき船主たちによって古新町の西側に新町が建設された。…

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