平鹿堰
ひらかせき
成瀬川から取水し、北西に流れて増田町・平鹿町を灌漑し、横手市と大雄村の境を北流する大戸川とその西の雄物川に流入する。
現増田町亀田字真人に取入口があり、元文四年(一七三九)の上吉田村(現平鹿町)の村方吟味覚書に「亀田村より下り拾五ケ村之関ニ而当村者水末ニ御座候、関口まで四里程有之」とあり、同村の宝暦二年(一七五二)の御打直品々書上候覚には「水本之儀者雄物川田子内川真当と申所ニ而留上ケ、堰筋当村へ三里余」とあり、距離については食違いがみられる。利用する村は、前記宝暦の覚に亀田村・増田村・縫殿村(現増田町)、腕越村・梨木羽場村(現十文字町)、明沢村・馬鞍村・石成村・醍醐村・深間内村・中吉田村・客殿薊谷地村・上樋口村・上吉田村(現平鹿町)、外目村(現横手市)の都合一六ヵ村とあって一村不足するが、「増田町郷土史」に、上関合村・下樋口村がみえるので、両村のいずれかが該当するのであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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