日本歴史地名大系 「幸喜村」の解説 幸喜村ほーきむら 沖縄県:沖縄島北部名護市幸喜村[現在地名]名護市幸喜(こうき)名護(なぐ)間切の南西に位置し、東は許田(ちゆーだ)村。ホーチともよぶ。集落の南側三方を古知屋(こちや)岳(二八四・二メートル)をはじめとする山地が囲み、ここを源とする幸地(こうち)川とアミガー(阿見川)が合流し、下流で幸喜(ほーき)川となり、名護(なご)湾に注ぐ。集落は砂地の沖積低地であるニシマ(西間原)に形成される。地名の意味は河内・川内、あるいは砂原(乾燥地)とする説がある(沖縄地名考)。正保国絵図・琉球国高究帳に名護間切「幸喜村」、絵図郷村帳に同間切「かうき村」とみえるが、寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳では同間切「桑喜(こうき)村」、同治四年(一八六五)の造林保護に関する名護間切届書(琉球産業制度資料)では「幸地村」と記される。前掲高究帳では高頭八四石余、うち田七八石余(うち永代荒地二二石余)・畠六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by