朝日日本歴史人物事典 「幸阿弥長重」の解説
幸阿弥長重
生年:慶長4(1599)
江戸前期の蒔絵師。室町時代以来,幕府お抱えの蒔絵師を勤めた幸阿弥家の7代長晏 の3男に生まれ,名は新次郎。最初養子に出たが,元和4(1618)年に呼び返され,幸阿弥家の10代を継ぎ,以後,多数の蒔絵師を擁する工房の運営に当たった。長重の時代に幸阿弥家が制作にかかわった蒔絵作品は膨大な数にのぼるが,なかでも最も注目されるのは,いわゆる大名婚礼調度であろう。これは,将軍家を頂点とする全国諸大名や有力公家などの間で婚儀が行われた際に調えられたもので,内容は化粧道具,文房具,香道具,遊戯具など多岐にわたる。その代表的な例としては,寛永16(1639)年,徳川将軍3代家光の長女千代姫が,尾張徳川家2代の光友に嫁いだ際に調えられた「初音蒔絵婚礼調度」(徳川美術館蔵,重文)をあげることができる。これは,『源氏物語』初音の帖を主題とした光景を金銀の高蒔絵を用いて華麗に描いたもので,合計数百件にも達する調度類が長重の工房で3年の歳月を費やして制作された。幸阿弥家では婚礼調度のほかにも,明正天皇即位(1630)の際の調度品をはじめ,諸大名から将軍家への献上品,将軍家からの下賜品など,公的な性格を帯びた作品を数多く造り出しており,江戸の漆芸界では並ぶもののない権威ある存在であった。多くの技術者をかかえた幸阿弥の工房で,手間と費用を惜しまずに熟成された技術が,当時の漆芸界全体におよぼした波及効果はまさに絶大なものがあった。また江戸時代は,光悦・光琳様式,高台寺蒔絵,笠翁細工など,さまざまな蒔絵の様式が並び行われた時代でもあったが,そのなかで室町時代に始まった伝統様式の蒔絵を忠実に継承し続けた幸阿弥家の存在には,重いものがあったといわなくてはならない。<参考文献>『幸阿弥家伝書』,岡田譲「幸阿弥蒔絵」(『東洋漆芸史の研究』)
(小松大秀)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報