日本大百科全書(ニッポニカ) 「広島牡蠣」の意味・わかりやすい解説
広島牡蠣
ひろしまかき
広島湾の川水の流入する潮口で養殖された牡蠣。養殖の起源は天文(てんぶん)年間(1532~1555)より延宝(えんぽう)年間(1673~1681)まで諸説があり、いずれも、のちに盛大化する産地、仁保(にほ)島、草津(くさつ)、海田(かいた)における口碑である。広島牡蠣が全国的に有名になるのは、1700年(元禄13)、三次(みよし)藩の殖産奨励により備後(びんご)国佐伯(さえき)郡草津村(広島市西区)の牡蠣生産業者が、牡蠣船株仲間を結成し、大坂牡蠣市場の販売独占に成功したこと、その後の瀬戸内海各地への販路拡大を行ってからである。船中で牡蠣料理を楽しむ風も1810年(文化7)ころからみられ、冬季だけの出稼ぎ的牡蠣船が長く続いた。牡蠣生産の画期的増大は17世紀末のひび(篊)建て養殖技術の成熟にあるが、草津、仁保島、海田ともそれぞれの特性をもっており、1926年(大正15)牡蠣筏(いかだ)による垂下養殖の技術が導入されるまで続けられた。続いて翌1927年、干潟に木柵(もくさく)をつくり、ひびで採苗育成した牡蠣塊を針金でつるす杭打(くいうち)式垂下養殖が考案され、1930年代以降の主流となった。
[土井作治]
『羽原又吉著『日本漁業経済史』全四巻(1949・岩波書店)』▽『土井作治「広島牡蠣仲間と大阪市場」(『西南地域史研究』第二輯所収・1978)』