日本歴史地名大系 「広済町」の解説 広済町こうさいちよう 群馬県:館林市館林城下広済町[現在地名]館林市朝日町(あさひちよう)館林城下の北端にあった広済寺の跡地。同寺は万徳山と号し、黄檗宗。創建は寛文九年(一六六九)、開基は徳川綱吉、開山は潮音(「潮音年譜」館林市立図書館蔵)。これより前潮音は山城宇治萬福(まんぷく)寺より上野国邑楽(おうら)郡真福山宝林(ほうりん)寺(現千代田町)に止住。領内における声望が高く、綱吉は潮音を永く領内にとどめおくため広済寺を創建、寺禄一千石を与えて住持としたという。延宝二年(一六七四)の城下町図に描かれる。潮音は同寺を拠点として活動し、在住一五年間に寺の方丈の側に指月(しげつ)亭を構え、「指月夜話」七巻、「宗門滲漏集」を著した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by