ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「庚癸の乱」の意味・わかりやすい解説
庚癸の乱
こうきのらん
Kyǒnggyeǔi nan
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→鄭仲夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…つづいて73年金甫当が毅宗復位運動のために挙兵したのを機会に,またも文臣を殺害追放した(癸巳(きし)の乱。前者と合せて庚癸の乱という)。やがて武人相互の争いが起こり,李高を李義方が殺し,李義方を鄭仲夫が殺し,鄭仲夫はただひとり残って権力を振るった。…
…つづいて73年東北面兵馬使金甫当が反対の兵をあげると,それを鎮圧すると同時に,またも文臣を殺害追放した(癸巳の乱)。この両乱を庚癸の乱というが,これで文臣の力は失われた。しかしその後も武人相互の権力争いがつづき,李高は李義方に,李義方は鄭仲夫に,鄭仲夫は慶大升に殺され,李義
は崔忠献(さいちゆうけん)に殺された。…
※「庚癸の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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