座頭町(読み)ざとうまち

日本歴史地名大系 「座頭町」の解説

座頭町
ざとうまち

[現在地名]弘前市小人こびと

城の北東側に位置し、東は小人町、西は馬喰ばくろ町と接する。

正保三年(一六四六)津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)に、小人町として町割され、慶安二年(一六四九)弘前古御絵図(市立弘前図書館蔵)では同じく小人町とあり、現長坂ながさか町を座頭町・座頭町下町御小人ざとうまちしものまちおこびと町とするが、下町に座頭はおらず、座頭町に一五軒の座頭屋敷があった。寛文一三年(一六七三)弘前中惣屋敷絵図(同館蔵)には、慶安時の座頭町は侍町とあり座頭はいない。町名はないが、当町域に惣座頭屋敷一ヵ所、座頭成常一軒、畳屋一軒があり、座頭の制が寛文六年に定まったのを機会に、移転したと考えられる。


座頭町
ざとうまち

[現在地名]米沢市中央ちゆうおう六―七丁目

信夫しのぶ町の東、越後街道沿い両側に配置された下級家臣屋敷町。南は三の丸堀の北門一帯に配置された清野家下屋敷に、北は北寺きたてら町の諸寺院に接し、東は町人町あら町に接する。享保一〇年(一七二五)の城下書上によれば町の長さ四町一〇間・道幅五間・屋敷数三七。ほかに長さ三〇間の二筋の横町、長さ三〇間・道幅四間の禅透ぜんとう院門前の横町がある。なお同書上に載る清野下屋敷町は長さ二町七間・道幅四間・屋敷数一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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