庭瀬藩陣屋跡(読み)にわせはんじんやあと

日本歴史地名大系 「庭瀬藩陣屋跡」の解説

庭瀬藩陣屋跡
にわせはんじんやあと

[現在地名]岡山市庭瀬

撫川なつかわ城跡の東に位置する。庭瀬藩は、関ヶ原の合戦後、戸川逵安賀陽都宇つう二郡(「寛政重修諸家譜」は二郡とするが窪屋郡を含めて三郡か)に二万九千二〇〇石を与えられて入部したことに始まる。戸川氏は逵安のあと正安―安宜―安風と続くが、延宝七年(一六七九)安風が死んで無嫡断絶。これより先、正安は遺領を継ぐにあたって三弟安尤(早島戸川氏)に都宇郡内で三千四〇〇石、四弟安利(帯江戸川氏)に都宇・窪屋くぼや両郡内(「寛政重修諸家譜」は都宇郡内とするが誤り)で三千三〇〇石を分知。安宜は弟安成(妹尾戸川氏)に都宇郡内で一千五〇〇石を、安風は弟逵富に同郡内で一千石を分知した。安風の死後藩領分は収公されたが、兄の名跡を継いだ逵富に四千石の加増があり、撫川に陣屋を置いた(撫川戸川氏)。天和三年(一六八三)庭瀬には久世重之が五万石(賀陽・都宇・窪屋・浅口・小田・後月の六郡内)で入封するが、貞享三年(一六八六)一部の領地を残したまま丹波亀山かめやま(現京都府亀岡市)に転封、元禄一〇年(一六九七)さらに三河吉田よしだ(現愛知県豊橋市)に移った際、残っていた領地も所替となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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