朝日日本歴史人物事典 「久世重之」の解説
久世重之
生年:万治3(1660)
江戸中期の幕府老中。4代将軍徳川家綱の老中久世広之の子。幼名勝之助,のち大和守を称した。延宝7(1679)年,父広之の死により家督を相続し関宿城主となる。同年9月に奏者番に任じられる。父広之の担当した越後騒動の裁許に手落ちがあったとの理由で,いったん免職となるが貞享2(1685)年に再任,5代将軍綱吉の信頼を得て,宝永1(1704)年に寺社奉行を兼任,翌2年に若年寄,正徳3(1713)年に老中となる。重之は譜代保守層を代表する政治家で,正徳の治を進めた新井白石とは対立したが,白石の学問は評価していた。また8代将軍吉宗のもとでは老中の権威の回復に努め,御側御用取次の有馬氏倫らの越権行為をきびしく戒めた。吉宗もまたその剛直を愛でて,重之が病気で倒れてからもその療養のために種々手を尽くしたが,現職老中のまま没。<参考文献>辻達也『享保改革の研究』
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報