日本歴史地名大系 「庭野」の解説 庭野あいばの 滋賀県:高島郡新旭町庭野現饗庭の西方に広がる山林原野のことで、古くから善積(よしづみ)庄と饗庭庄との間で境界紛争が続いた。近世には多く熊野(くまの)山とよばれたが、天正三年(一五七五)九月二日の磯野員昌書状(饗庭文書)の宛名が「饗庭百姓中」とあるので、古くからの呼称と思われる。寛永一二年(一六三五)角川(つのがわ)村・保坂(ほうざか)村(現今津町)は鍛冶(かじ)ヶ尾・堂立(どうたて)山につき、饗庭庄を相手に訴えを起こし、同一四年饗庭庄の主張が認められた。翌一五年再びこの裁決を不満として二村が出訴、そのため訴訟中は両者の入山が禁じられ、饗庭庄民はその解禁を要求している。元禄年間(一六八八―一七〇四)前記二村と追分(おいわけ)村(現今津町)との草刈場山についての争いは、熊野山をめぐる複雑な問題に広がった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by