朝日日本歴史人物事典 「康子内親王」の解説
康子内親王
生年:延喜20(920)
平安中期の皇女。右大臣藤原師輔の妻。准三宮。醍醐天皇と藤原穏子の娘。朱雀・村上両天皇の同母妹。『政治要略』には,誕生時,あまりの難産に床下を調べると呪詛中の老婆が逃げ出したという逸話が残る。穏子晩年の子で,絶えず傍らで育てられた。内裏の麗景殿に住み「北の宮」と呼ばれる。裳着は伯父の摂政忠平が務めた。天暦8(954)年,内親王で初めて准三宮に叙せられる。母の死まで独身で過ごしたが,晩年,姉たち(勤子内親王,雅子内親王)同様,師輔の室となった。子公季の出産が原因で没。<参考文献>角田文衛「太皇太后穏子」(『紫式部とその時代』)
(楢原潤子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報