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藤原師尹 ふじわらのもろただ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原師尹
ふじわらのもろただ

[生]延喜20(920)
[没]安和2(969).10.15.
平安時代中期の廷臣。忠平の子。天慶5 (942) 年従四位下,同7年蔵人頭,同8年参議,同9年従四位上,天暦2 (948) 年従三位,権中納言,同5年中納言,同7年左衛門督検非違使別当,同 10年正三位,天徳1 (957) 年右近衛大将,同4年権大納言,康保3 (966) 年従二位,同4年正二位,右大臣蔵人所別当

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原師尹 ふじわらの-もろただ

920-969 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
延喜(えんぎ)20年生まれ。藤原忠平の5男。母は源能有(よしあり)の娘。天慶(てんぎょう)8年(945)参議。正二位,右大臣にすすみ,安和(あんな)2年源高明(たかあきら)の左遷(安和の変)で後任の左大臣となる。同年10月15日死去。50歳。贈正一位。在職7ヵ月での死は,陰謀のむくいとうわさされた。号は小一条。名は「もろまさ」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原師尹

没年:安和2.10.15(969.11.27)
生年:延喜20(920)
平安中期の公卿。忠平と源能有の娘昭子の子。「もろまさ」とも。家格から,大納言に至るまで順調に昇進し,康保3(966)年12月右大臣となる。その後安和の変(969)で左遷された左大臣源高明の後任とされたが,7カ月後に没した。世間ではこの事件との関係が取り沙汰され,『大鏡』が安和の変の首謀者とみなし,高明を陥れた報いで亡くなったとするほか,事件のあと「幾程モナク声ノ失ル病」にかかった(『源平盛衰記』)とも,「疱瘡」で亡くなった(『愚管抄』)ともいわれるが,真相は不明。『今昔物語集』に「極メテ腹悪キ人」として登場するのも同類。箏の名手や歌人として知られ,『後撰和歌集』『元輔集』などに収められた歌は数多い。邸宅小一条院にちなみ小一条左大臣と称され,日記『小左記』(『小一条記』『小一条左大臣記』とも)が逸文の形で伝えられる。なお娘芳子は村上天皇に入内し宣耀殿女御と呼ばれた。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の藤原師尹の言及

【安和の変】より

…969年(安和2)3月,源満仲らの密告により,橘繁延,僧蓮茂らが謀反の疑いで逮捕・尋問されたが,罪は醍醐天皇の子で,儀式に精通し,朝廷に重きをなしていた左大臣源高明に及び,彼は大宰員外帥に左遷,繁延らは流罪,与党の源連は追捕され,また武士の藤原千晴(秀郷の子)らも捕らえられて流された。一方,右大臣藤原師尹が左大臣,大納言藤原在衡が右大臣に昇任した。この事件の真相については諸説あるが,結局は藤原氏の陰謀と考えられる。…

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