藤原公季(読み)ふじわらのきんすえ

改訂新版 世界大百科事典 「藤原公季」の意味・わかりやすい解説

藤原公季 (ふじわらのきんすえ)
生没年:957-1029(天徳1-長元2)

平安中期の公卿。父は右大臣師輔。母は康子内親王(醍醐皇女)。《大鏡》によれば,生後すぐ母を失った彼は,異母姉中宮安子村上天皇宮中皇子同様に愛育されたという。981年(天元4)従三位,以後参議,納言を経て997年(長徳3)内大臣,1017年(寛仁1)右大臣,21年(治安1)太政大臣昇任。女義子は一条天皇女御。諡(おくりな)は仁義公。閑院,三条西園寺徳大寺諸家の祖。
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朝日日本歴史人物事典 「藤原公季」の解説

藤原公季

没年:長元2.10.17(1029.11.25)
生年:天徳1(957)
平安中期の公卿。閑院太政大臣と称される。従一位(贈正一位)。右大臣師輔と醍醐天皇皇女康子内親王の子。幼くして両親を失い,30歳年上の姉で村上天皇中宮の安子のもと宮中で育ち,皇子と等しい扱いを受けた(『大鏡』)。おっとりと落ち着きはらった性格はこれによるか。25歳で従三位(非参議)となり,長徳3(997)年,失脚した藤原伊周に代わって内大臣となった。20年後右大臣を経て治安1(1021)年太政大臣に至り,死去するまでこの職を務めた。仁義公と諡され,閑院流の祖。娘の義子(醍醐天皇皇女有明内親王との子)は一条天皇の女御。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原公季」の意味・わかりやすい解説

藤原公季
ふじわらのきんすえ

[生]天徳1(957).京都
[没]長元2(1029).10.17. 京都
平安時代の廷臣。師輔の子。母は醍醐天皇の皇女康子内親王。『大鏡』によると,幼少のとき姉の村上天皇の中宮安子によって皇子と同じように宮中で養育されたという。天元4 (981) 年従三位となって公卿に列し,参議,中納言,左近衛大将,内大臣,右大臣を経て,治安1 (1021) 年従一位,太政大臣。死去に際して,正一位が贈られ,仁義公と諡 (おくりな) された。閑院と称し,子孫は三条,阿野,西園寺,清水谷,今出河,洞院,徳大寺などの諸家に分れた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原公季」の解説

藤原公季 ふじわらの-きんすえ

957-1029 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
天徳元年生まれ。藤原師輔(もろすけ)の11男。母は康子内親王。幼時に父母をうしない,姉の村上天皇中宮安子のもとで皇子同様にそだてられた。天元4年(981)従三位。内大臣,右大臣をへて,治安(じあん)元年(1021)太政大臣,従一位となる。閑院流の祖。長元2年10月17日死去。73歳。贈正一位。諡(おくりな)は仁義公。

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