中国、江蘇(こうそ)省建康(南京(ナンキン))にあった寺。揚子江(ようすこう)(長江)以南の地に最初に建てられた寺として知られる。247年、建康にきた交趾(こうち)の沙門(しゃもん)康僧会(こうそうえ)が住した祠廟(しびょう)を、信者となった呉王(ごおう)、孫権(そんけん)が仏寺としたのに始まる。その地を仏陀里(ぶつだり)と名づけ、寺前に大市が開かれたため大市寺(だいしじ)とも称した。東晋(とうしん)の初め密教を伝えた帛尸梨蜜多羅(はくしりみたら)が住したが、蘇峻(そしゅん)の乱のため328年に焼失、奉仏者の何充(かじゅう)によって復興された。南朝の国の交替によって名称も変わり、天子(てんし)寺、長慶(ちょうけい)寺、奉先(ほうせん)寺、天嬉(てんき)寺、大報恩(だいほうおん)寺などと称されたが、建康を中心とする江南仏教の中心として大いに栄えた。
[鎌田茂雄]