建咲院(読み)けんしよういん

日本歴史地名大系 「建咲院」の解説

建咲院
けんしよういん

[現在地名]新南陽市大字富田 土井

富田とんだ川東岸の、陶氏の居館があったという徳山市大字下上の城しもかみのじよう山西南小丘の麓にあり、曹洞宗で富田山と号する。本尊釈迦如来。

南北朝以降この辺りを領した陶氏の八代興房が、父弘護と母益田氏追福のために文明一四年(一四八二)に建立した寺で、両親の法名の各一字をとって寺名とした。開山長穂竜文ながほりゆうもん(現徳山市)の大悦薫童。

永禄年中(一五五八―七〇)毛利元就は豊後大友宗麟との戦いに出陣の途中、富田に寄港したが、その折建咲院の隆室の教えを受けるため家臣を遣わし、その非礼を責められたため自らが赴いて授戒を受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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