建福寺(読み)けんぷくじ

日本歴史地名大系 「建福寺」の解説

建福寺
けんぷくじ

[現在地名]高遠町大字西高遠

鉾持ほこじ神社参道より一町余の東にある。

延享元年(一七四四)成立の「伊那郡神社仏閣記」に「臨済宗 大宝山 京妙心寺末」「建長年中開山大覚禅師」とある。本尊釈迦如来

室町時代に諸山に列せられ、住持任命に関することが「蔭涼軒日録」の永享七年(一四三五)七月七・二四・二五日の条をはじめ、寛正元年(一四六〇)八月六日、延徳二年(一四九〇)九月二日の条にみえる。

天正三年(一五七五)一一月二八日の武田勝頼朱印状(建福寺文書)によると「乾福寺」とあり、織田信忠も同一〇年三月、入城直後に禁制を掲げ、以後歴代城主の尊崇厚く寄進をうけている。なお建福寺文書によれば同一一年一二月の保科正直禁制以後は「建福寺」と書かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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