日本歴史地名大系 「弁天岬台場跡」の解説 弁天岬台場跡べんてんさきだいばあと 北海道:渡島支庁函館市旧函館区地区函館弁天町弁天岬台場跡[現在地名]函館市弁天町近世末に弁天町地先の海面を埋立てて築造された洋式台場。弁天崎台場とも記し、弁天台場・弁天砲台などともいった。箱館奉行堀利熙・竹内保徳が箱館警衛のために計画し、五稜(ごりよう)郭と同様に武田斐三郎が監督・設計、工事請負人は箱館の佐藤半兵衛・山田寿兵衛・杉浦嘉七三郎と越後の松川弁之助、江戸の中川伝蔵、備前の石工喜三郎であった。安政三年(一八五六)冬に着工、万延元年(一八六〇)九月に石垣部分が完工となり、元治元年(一八六四)九月に全工事を終えている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by