弘済寺(読み)こうさいじ

日本歴史地名大系 「弘済寺」の解説

弘済寺
こうさいじ

[現在地名]宇部市大字東岐波

東岐波ひがしきわの南東端、丸尾崎まるおざきにある。曹洞宗で万松山と号し、本尊観世音菩薩

「注進案」によれば、天平勝宝三年(七五一)宇佐うさ八幡(現大分県宇佐市)を勧請し創建された南方みなみがた八幡宮別当坊で、神社創建当初からその近くにあったという。開山は不明。永仁六年(一二九八)に没した法燈国師が中興で、再中興は萩の亨徳こうとく寺五世三江祖元とする。暦応二年(一三三九)三月八日付の弘済寺文書(「注進案」所収)には「白松之内弘済鎮国禅寺」と記し、大内右京大夫から祈願所とされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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