弟子丸名(読み)でしまるみよう

日本歴史地名大系 「弟子丸名」の解説

弟子丸名
でしまるみよう

中世の曾野郡および小河おがわめぐり(現福山町)に所在した名。うち曾野郡弟子丸名は近世囎唹そお郡弟子丸村が遺称地とみられ、現在の清水きよみずを含む一帯にあったと思われる。大隅国建久図田帳には曾野郡の国方公田のうちに「弟子丸五丁」、小河院国領のうちに「廻村弟子丸五丁三段半」とみえ、両所ともに建部宗房の知行とある。宗房は大隅国の在庁官人で、弟子丸はおそらく宗房の仮名であろう。元亨四年(一三二四)正月二七日の守護狩夫支配状(旧記雑録)には弟子丸五人とみえ「国分郷土誌」によると宗房の子孫は曾野郡弟子丸の地に居住し、智尾ちお神社を氏神として弟子丸氏を称したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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