彼杵浦(読み)そのきうら

日本歴史地名大系 「彼杵浦」の解説

彼杵浦
そのきうら

[現在地名]東彼杵町彼杵宿郷

江戸時代、彼杵川河口に置かれた湊。彼杵浦は物資の集散地として重視され、内海うちめ外海そとめや五島列島などとも結ばれていた。天正二〇年(一五九二)頃、大村を立退いたイエズス会の司教ドン・ルイス・セルケイラはこおり(現大村市)を経て彼杵のレジデンシアに行き、そこから舟に乗って内海Ucuni(大串か、現西彼町)に赴いている(アフォンソ・デ・ルセナの回想録)。また海の長崎路と称されるように、大村湾の南西にある時津とぎつ(現時津町)と結ぶ航路があり、慶長元年(一五九六)長崎で処刑された二十六聖人の殉教の行路となった。正保国絵図では彼杵村の浦は時津まで船路七里で、船繋がよくなく荒磯であるという。慶安二年(一六四九)の肥前国道法帳に船路として「彼杵浦」とあり、時津浦やなが(現琴海町)方面と結ばれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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