日本歴史地名大系 「彼杵村」の解説
彼杵村
そのきむら
現町域の北部に位置し、
江戸時代には長崎路(長崎街道)の彼杵宿が置かれ、それを中心に彼杵町が形成され、大村湾に臨んで彼杵浦・音琴浦などがあった。慶長四年大村領の検地が行われ、慶長高帳では蔵入地のほか、知行高二四七石余の大村善次郎ら庶家一門二人をはじめ、大村給人四人・小姓衆八人・郡村給人三人・彼杵給人三〇人・波佐見給人一人が知行。慶長一〇年の大村領内高目録では「彼杵村」の高一千八五四石余で、田一三二町四反余・畠三五町五反余、物成一千二〇石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報