後藤基清(読み)ごとうもときよ

改訂新版 世界大百科事典 「後藤基清」の意味・わかりやすい解説

後藤基清 (ごとうもときよ)
生没年:1155-1221(久寿2-承久3)

鎌倉前期の武士。佐藤仲清の子。後藤実基養子。左衛門尉,検非違使に任じ,在京御家人として,1196年(建久7)平知盛の子知忠の謀叛を鎮定し,1218年(建保6)には伊勢平氏余流の平正重の反乱をおさえた。讃岐守護にも任じたが,1199年(正治1)将軍源頼家によって罷免された。また建保~承久のころ播磨守護に任じたが,承久の乱に朝廷軍に与同し刑死した。
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関連語 小田

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤基清」の解説

後藤基清 ごとう-もときよ

?-1221 鎌倉時代の武将
佐藤中清の子。後藤実基の養子。源頼朝につかえ,平氏追討に活躍して讃岐(さぬき)守護となる。正治(しょうじ)元年中原政経らと源通親襲撃をはかり,流罪。のち,ゆるされて検非違使(けびいし)をつとめ,また播磨(はりま)守護となった。承久(じょうきゅう)の乱で後鳥羽(ごとば)上皇側について捕らえられ,承久3年7月2日子の基綱にきられた。

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