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後藤基清 ごとう もときよ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後藤基清 ごとう-もときよ

?-1221 鎌倉時代の武将。
佐藤中清の子。後藤実基の養子。源頼朝につかえ,平氏追討に活躍して讃岐(さぬき)守護となる。正治(しょうじ)元年中原政経らと源通親襲撃をはかり,流罪。のち,ゆるされて検非違使(けびいし)をつとめ,また播磨(はりま)守護となった。承久(じょうきゅう)の乱で後鳥羽(ごとば)上皇側について捕らえられ,承久3年7月2日子の基綱にきられた。

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朝日日本歴史人物事典の解説

後藤基清

没年:承久3.7.2(1221.7.22)
生年:生年不詳
鎌倉前期の武将。実父は藤原秀郷の子孫の内舎人佐藤仲清,養父は同族の兵衛尉後藤実基。官位は従五位上,検非違使・左衛門少尉に昇った。源平の争乱では源氏方に参じ,屋島の戦(1185)では養父と共に屋島内裏を焼く戦功を挙げ,讃岐国の守護に任じられる。源頼朝の許しを得ずに兵衛尉に任官し,一時鎌倉への出仕を停止される。その後許され,おもに京にあって京都守護一条能保を助けて活躍。正治1(1199)年,中原政経,小野義成と源通親襲撃を企て流罪。通親死後に許され再び京にあり,後鳥羽上皇に近侍するようになる。承久の乱(1221)に際しては京方につき,鎌倉方の子息基綱によって斬首された。

(本郷和人)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ごとうもときよ【後藤基清】

1155‐1221(久寿2‐承久3)
鎌倉前期の武士。佐藤仲清の子。後藤実基の養子。左衛門尉,検非違使に任じ,在京御家人として,1196年(建久7)平知盛の子知忠の謀叛を鎮定し,1218年(建保6)には伊勢平氏余流の平正重の反乱をおさえた。讃岐守護にも任じたが,1199年(正治1)将軍源頼家によって罷免された。また建保~承久のころ播磨守護に任じたが,承久の乱に朝廷軍に与同し刑死した。【小田 雄三】

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