朝日日本歴史人物事典 「後藤松陰」の解説
後藤松陰
生年:寛政9(1797)
江戸後期の儒学者。美濃(岐阜県)生まれ。名は機,字は世張,通称は俊蔵。号は松陰,春草,鎌山,兼山。幼くして神童と称され,大垣の菱田毅斎に学んでその塾長となった。文化12(1815)年から頼山陽に師事,文政1(1818)年,山陽の西遊に随行した。3年大坂に塾を開き,8年山陽の媒妁によって篠崎小竹の娘町子と結婚。当時大坂で,文は松陰,詩は広瀬旭荘と並称された。山陽の著述の校訂や,その著の序跋を草した。墓は篠崎家と同じ天満天徳寺にある。<著作>『春草詩鈔』『好文字』『松陰亭集』『竹深荷浄書屋集』『松陰詩稿』『松陰文稿』
(水田紀久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報