徒町(読み)かちのまち

日本歴史地名大系 「徒町」の解説

徒町
かちのまち

[現在地名]会津若松市徒之町かちのまち宮町みやまち花春町はなはるまち南千石町みなみせんごくまち

郭外北東に数条の通りがあり、蒲生氏時代に徒の者を住まわせた所なので、この名がついた(新編会津風土記)三日町みつかまち口郭門(現会津工業高校正門前)から東への通りが下長しもなが丁で、長さ三町五〇間・幅六間、家数五八。その東が上長丁で、長さ一町五九間・幅六間、家数一八。狭義ではこの二町が徒町である。その東が薬園前やくえんまえ通で、南北に一町一七間・幅二間余、家数一一。上長丁・下長丁の北に並行していたのが願成就寺前がんじようじゆじまえ通で、長さ二町五五間・幅六間(現在は通り抜け不能)、家数二六。この通りの東端北側に浄土真宗本願寺派井上浄光いのうえじようこう寺がある。

徒町
おかちまち

[現在地名]弘前市徒町

城の東側に位置し、田代たしろ町から百石ひやつこく町に至る土淵つちぶち川沿いの町並。北は徒町川端おかちまちかわばた町、東は徳田とくだ町に接する。

寛文一三年(一六七三)弘前中惣屋敷絵図(市立弘前図書館蔵)には、御歩行町と記され、不完全ながら町割がされ、一九軒、うち空家四の屋敷割があり、住人はいずれも徒衆と思われる。延宝五年(一六七七)弘前惣御絵図(同館蔵)では、徳田町と接続し、町内に一六軒の屋敷割がされている。「津軽史」によれば、貞享二年(一六八五)江戸で召抱えた一〇名の徒衆を町内に居住させるため、建築材料を与えたとある。国日記同三年九月三〇日条によれば、大絵図によって町内の町割をした。元禄一〇年(一六九七)一二月七日条の徒頭の申立によれば、町内の徒衆は役替の者が多く、徒衆以外の組の居住者が増加し、徒衆の屋敷が不足している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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