日本歴史地名大系 「徒町」の解説
徒町
かちのまち
徒町
おかちまち
城の東側に位置し、
寛文一三年(一六七三)の弘前中惣屋敷絵図(市立弘前図書館蔵)には、御歩行町と記され、不完全ながら町割がされ、一九軒、うち空家四の屋敷割があり、住人はいずれも徒衆と思われる。延宝五年(一六七七)の弘前惣御絵図(同館蔵)では、徳田町と接続し、町内に一六軒の屋敷割がされている。「津軽史」によれば、貞享二年(一六八五)江戸で召抱えた一〇名の徒衆を町内に居住させるため、建築材料を与えたとある。国日記同三年九月三〇日条によれば、大絵図によって町内の町割をした。元禄一〇年(一六九七)一二月七日条の徒頭の申立によれば、町内の徒衆は役替の者が多く、徒衆以外の組の居住者が増加し、徒衆の屋敷が不足している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報