得屋郷(読み)とくやごう

日本歴史地名大系 「得屋郷」の解説

得屋郷
とくやごう

現在の益田市上吉田かみよしだ町・水分みずわけ町・多田ただ町地域にあった、長野ながの庄を構成する内部の所領単位。正確な範囲は不明だが、益田庄に隣接することもあり、南北朝期に作成された元暦元年(一一八四)一一月二五日の源範頼下文案・同二年六月日の源義経下文案・建仁三年(一二〇三)一二月日の益田兼季解文案(以上益田家文書、以下断らない限り同文書)にはいずれも益田氏の所領としてみえるが、確実な初見史料は貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文で、長野庄内の一部として「とくや 廿丁二反小」とみえる。得屋郷を支配した領主としては、暦応五年(一三四二)に南朝方として大多和外おおたわげ(現三隅町)に立籠り、幕府方の攻撃を受けて降参した徳屋彦三郎(胤時か)がいる(同年六月一八日「逸見大阿代子息有朝軍忠状写」小早川証文)。得(徳)屋氏は岩田氏とも称しているが、益田氏と同様鎌倉期以前から石見国で活動してきた武士であろう。その意味で益田氏が上記の三つの案文で、いずれも鎌倉初期に得屋郷を支配したとするのは問題がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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