日本歴史地名大系 「益田庄」の解説
益田庄
ますだのしよう
- 島根県:益田市
- 益田庄
現益田市東半部から現那賀郡
益田庄
ますだのしよう
- 三重県:桑名市
- 益田庄
益田庄は、長和二年(一〇一三)左衛門尉平致経が先祖相伝の所領を宇治殿(藤原頼通)に寄進したことにより成立した(宝治二年一一月「某申状案」近衛家文書)。一一世紀後半に至り平致経に代わって藤原清綱が領主となり、この地を藤原師実の政所に寄進し、その下文を得て荘の四至を「東限海、南限□□、西限破路、北限縁谷」と確定した。この下文によれば、荘域内に三ヵ所の網蔵(網場)が存在していたことがわかる。それらは古瀬・枯木瀬・只負瀬とよばれ、絶好の漁場であった。なお荘内には、真目賀嶋・今嶋などとよばれる六ヵ所の島が木曾川・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報