日本歴史地名大系 「御堂村」の解説 御堂村みどうむら 埼玉県:秩父郡東秩父村御堂村[現在地名]東秩父村御堂安戸(やすど)村の西に続く。槻(つき)川とその支流萩平(はぎだいら)川に沿って開かれた地で、小名向堀(むかいぼり)・萩平・やまし平(だいら)・しきみ平(だいら)・坊庭(ぼうにわ)・牧山(まきやま)・鍛冶屋(かじや)・後(うしろ)・宮地(みやじ)・御堂(みどう)の各集落によって形成される。中世には丹党大河原氏の本貫地大河原(おおかわら)郷の中心地であったと推定されている。開基を大河原神冶太郎光興と伝える地内日蓮宗浄蓮(じようれん)寺は大河原氏の館を法華道場に改めたのが草創とされ、同寺の御影堂が御堂の地名由来ともいう。浄蓮寺が所蔵する銅鐘の文明一三年(一四八一)四月日年紀の追刻銘には「大河原御堂 妙栄山 浄蓮寺」とみえる。 御堂村みどうむら 岩手県:岩手郡岩手町御堂村[現在地名]岩手町御堂北上川源流付近に広がり、西を奥州街道が通る。東は沼宮内(ぬまくない)村、南は五日市(いつかいち)村、北は馬羽松(まはまつ)村(現二戸郡一戸町)。元和八年(一六二二)一一月一九日の南部利直代官申付状(参考諸家系図)に「御堂」とみえる。正保国絵図に高一三石余とある。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では蔵入高五石余、七ヵ年平均の免一ツ一分。元禄十郡郷帳による〆高は田方一七石余・畑方五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by