日本歴史地名大系 「御寺村」の解説
御寺村
みてらむら
[現在地名]瀬戸田町御寺
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では、生口島二千四六六石余のうちに含まれる。寛文一〇年(一六七〇)当村沖に塩浜一軒が瀬戸田町清兵衛によって開発されている(宝永二年豊田郡生口島瀬戸田町塩浜年数「日本塩業大系」所収、明治九年「塩田堤防之儀ニ付伺書」瀬戸田町教育委員会蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では、生口島二千四六六石余のうちに含まれる。寛文一〇年(一六七〇)当村沖に塩浜一軒が瀬戸田町清兵衛によって開発されている(宝永二年豊田郡生口島瀬戸田町塩浜年数「日本塩業大系」所収、明治九年「塩田堤防之儀ニ付伺書」瀬戸田町教育委員会蔵)。
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