日本歴史地名大系 「御嶽村」の解説 御嶽村みたけむら 東京都:青梅市御嶽村[現在地名]青梅市御岳(みたけ)・御岳山(みたけさん)沢井(さわい)村の西にあり、多摩川両岸にわたる。南西部の御岳山より大沢(おおさわ)川が流れる。端村に滝本(たきもと)村・中野(なかの)村がある。武州御嶽山信仰の中心となる武蔵御嶽神社が鎮座する。御岳山上の尾根筋を切る堀切や、土橋、日の出(ひので)山尾根の縦堀・馬場跡などから山城(御嶽山城)の遺構とする説があり、丸(まる)山を主郭とし、社家の屋敷地などを腰曲輪としている。永禄一二年(一五六九)頃、北条氏が三田氏支族の下善六郎・南神六郎に対して「御嶽御番」の忠節を賞している(七月五日「北条氏照朱印状」斎藤文書)。天正八年(一五八〇)と推定される一二月二八日の北条氏照判物(三田文書)に下村・二又尾などの地が「御嶽山致籠城」を賞して野口刑部丞(秀房)に安堵されている。ただし防衛戦略上の意義が薄いとして、城郭ではなく、神社への群盗侵入の備え、北条氏による権現社守衛の制とする見解もある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報