青梅村(読み)おうめむら

日本歴史地名大系 「青梅村」の解説

青梅村
おうめむら

[現在地名]青梅市本町ほんちよう仲町なかちよう上町かみちよう住江町すみえちよう滝ノ上町たきのうえちよう天ヶ瀬町あまがせちよう大柳町おおやなちよう森下町もりしたちよう裏宿町うらじゆくちよう

現青梅市域の南部中央、多摩川左岸に位置する。青梅街道筋の宿駅が置かれ、市立てが行われた。また幕府代官の青梅陣屋が設置されていた。南東部にある延命えんめい寺蔵の応安二年(一三六九)六月銘の銅製棟札に「多摩郡青梅村住吉山延命寺」、天ヶ瀬の金剛こんごう寺蔵の絹本着色如意輪観世音画像の大永二年(一五二二)九月の修理銘にそま保青梅村とある。永禄五年(一五六二)六月二〇日、小田原北条氏により「塩船寺・青梅両寺」の門内が不入とされている(「北条氏照朱印状」金剛寺文書)

慶長三年(一五九八)検地帳長淵ながぶち郷青梅村とあったとされ(風土記稿)、元和九年(一六二三)の武蔵御嶽神社蔵の刀銘に「杣保長淵郷青梅村久下善兵衛尉」と刻まれる。寛永年間(一六二四―四四)段丘下にあった当村集落を段丘上の街道面に移転させたとされるが(風土記稿)、東西に通る街道沿いに上宿かみじゆく・中宿・下宿溝端みぞばた森下の各地区とも南北に屋敷が割られていたことから(寛文八年「多麻郡三田領青梅村検地帳」青梅市郷土博物館蔵)市町・宿駅としての計画的な整備がなされたのであろう。田園簿に青梅町とみえ、田一〇石余・畑五〇九石余で幕府領、ほかに金剛寺領二〇石。「風土記稿」所載の正保年中改定図に「青梅町 馬次」とある。寛文八年(一六六八)の屋敷検地帳では屋敷数二三五筆で、新宿しんじゆく下町中町上町が一区域として竿入れを受け、次いで溝端・森下が計測されている。


青梅村
おうめむら

[現在地名]茂木町青梅

檜山ひやま村の南、那珂川の支流青梅川の源流部に位置し、西は鮎田あゆた村。村の南部を茂木と水戸を結ぶ往還が走る。慶長期(一五九六―一六一五)鮎田村から分村したという。近世を通じほぼ常陸谷田部藩領。慶安郷帳に村名がみえ田八一石余・畑九石余。寛政七年(一七九五)には家数一二・人数五四、馬一〇(「御巡見邑割并村高人別家数覚」山納武雄文書)、天保七年(一八三六)には人数三二(尊徳全集二三)、慶応三年(一八六七)には人数七二(「茂木領奥州白川人足覚帳」見目荘造文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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