御岳山(読み)ミタケサン

デジタル大辞泉 「御岳山」の意味・読み・例文・類語

みたけ‐さん【御岳山】

御岳

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精選版 日本国語大辞典 「御岳山」の意味・読み・例文・類語

みたけ‐さん【御岳山・御嶽山】

  1. 東京都青梅市の南西端にある山。山頂に御嶽神社がある。秩父多摩甲斐国立公園の一部。標高九二九メートル。金峰(きんぷ)山。武州御岳。

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日本歴史地名大系 「御岳山」の解説

御岳山
みたけさん

大岳おおたけ山から北に延びる御嶽尾根にある高山。御岳山は標高九二九メートル。金峰きんぷ山・武州御嶽山ともいう。北の大塚おおつか山の東手を大沢おおさわ川が流れ、南西の鍋割なべわり山の手前に奥院があり、東に日の出ひので山がそびえる。古くから御嶽山信仰の山として知られ、山頂に吉野金峰山より蔵王ざおう権現の分霊を勧請した武蔵御嶽むさしみたけ神社が鎮座、一山が関東の代表的な修験道場の場となった。武蔵野から当山を遠望すれば、本社のあるまる山と奥院が重なり、円錐形の神南備の山容を呈し、武蔵国のミタケの称にふさわしい秀麗さをみせる。

〔古代・中世〕

信仰の山として蔵王権現が勧請された時期はつまびらかではないが、天平八年(七三六)の創立とする所伝もあり、古くは「延喜式」神名帳に記す多摩郡八座の一つ「大麻止乃豆乃オホマトノツノ天神社」に比定する説がある。平安後期の赤糸威鎧(国宝)が所蔵されており、建長三年(一二五一)散位大仲臣国兼が金剛蔵王権現の金銅像を鋳造、また八尺の宮殿をはじめ諸社を再興したという(同八年二月「奥院御嶽像縁起事」金井家文書)。正和四年(一三一五)の御嶽山社頭由来記(同文書)には壬生氏尼の寄進になる楼門を修理、釈迦像・仁王像の造立を行ったと伝えている。徳治二年(一三〇七)一一月二七日壬生氏女が径二尺五寸の金峯山槌鐘を奉納していた(風土記稿、明治初年まで所蔵)。また鎌倉期の金覆輪円文螺鈿鏡鞍(国宝)・紫裾濃鎧(国指定重要文化財)・鍍金長覆輪太刀(同指定)・宝寿丸黒漆鞘太刀(同指定)などを伝来しており、鎌倉幕府と武蔵国国府に尊崇されていたことをうかがわせている。現さいたま市氷川女体ひかわによたい神社蔵の三鱗文長覆輪太刀と同型の太刀残欠を存するのは、蒙古襲来にあたって鎌倉幕府が国内寺社に命じた異国降伏祈祷への報謝が当山にもあったことを示すものであろう。ほかに鎌倉期の御正体もある。建武五年(一三三八)三月一一日銘の銅製鰐口(都指定文化財)は径一尺二寸で、銘に武蔵国金剛蔵王権現鏡と記す。中世関東の版経として名高い普済寺版経は武蔵御嶽神社別当世尊せそん寺の南北朝期の数代にわたる住僧の事業と考えられ、経中に「金峰参詣衆四千二百六十人」とあり、またこれに関与した尼正心ら山上止住の人名を記している(「大方広仏華厳経」巻五、京都大学図書館蔵)。山頂にはこの正心造立の南北朝期の板碑など二三基がある。応安二年(一三六九)令山俊翁明極は当山でこの経典を披読している(令山俊翁和尚行録)


御岳山
みたけやま

津谷つや川右岸、津谷桜子つやさくらごの集落北方にある。里近くそびえ、端正な山容で、標高一八三メートル。「観蹟聞老志」によれば、山頂に子守宮、山下に真言宗金峰山金剛寺があるという。「封内名蹟志」は「御嶽、郷人称蔵王権現」とする。「封内風土記」も、御岳山に佐藤庄司藤原勝信妻が創建した蔵王権現があるとする。「津谷村安永風土記」によると、村鎮守蔵王権現社の別当は金剛寺で、御嶽神社仏閣七社が付随しており、蔵王権現社のほか勝手小森之社・神明社・熊野社・愛宕社・不動堂・薬師堂であるという。

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改訂新版 世界大百科事典 「御岳山」の意味・わかりやすい解説

御岳山 (みたけさん)

東京都西部,青梅市にある山。標高929m。金峰山(きんぷせん),武州御岳(嶽)ともいう。江戸西方の蔵王信仰の山として知られる。全山うっそうたる森林におおわれ,山頂に御岳神社が鎮座する。神明造の荘厳な社殿をもち,境内は広い。南方約2kmの男具那ノ峰(1070m)に奥の院があり,秩父連山や伊豆諸島までの雄大な展望が開ける。またコノハズクなど野鳥が多く生息する。御岳山頂へは北東麓の滝本からケーブルカーが通じる。秩父多摩国立公園に属する東京近郊の行楽地。神社には国宝赤糸威鎧がある。
執筆者:

金峰山の別名にみるように,修験道の中心地として知られる吉野金峰山を勧請したもので,関東における代表的な修験道場であった。特に近世には,権現の眷属神である山犬(狼)が邪鬼,火盗の難を除くとする民間の御犬信仰と融合して広い信仰圏を形成した。江戸町人の間に御岳講が組織され,山上や山麓に拠点を置いた御師(おし)が信仰の普及に大きな力をもった。

 御岳山の組織運営に関してとくに注目すべきは,三方(さんぽう)相談の制である。これは神主,世尊寺,御師と3者の衆議によって一山の運営を行うものである。神主は御岳山中興の祖国兼の子孫と伝え,世襲制で,本社内陣の管理と牛王(ごおう)の祈禱札を発行してきたのに対し,世尊寺は醍醐寺三宝院の末寺に属し,本社外陣の管理と護摩札を発行してきた。しかし1788年(天明8)に世尊寺は社木の無断伐採によって廃寺処分を受け,三方相談の制度も消滅した。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御岳山」の意味・わかりやすい解説

御岳山
みたけさん

東京都青梅市(おうめし)の南西端にある山。標高929メートル。甲州御岳に対し武州御岳(ぶしゅうみたけ)ともよばれる。JR青梅線御嶽(みたけ)駅からバスが御岳登山鉄道のケーブルカーに連絡している。鉄道の両側はツツジヤマブキが美しい。山頂に慶長(けいちょう)年間(1596~1615)徳川家康が江戸城鎮護の社(やしろ)として再建した武蔵御嶽神社がある。江戸町民の信仰が厚く、御嶽講によって御岳参りが盛んであった。参道には参詣(さんけい)者の宿泊所として約40戸の御師(おし)集落があり、土産(みやげ)品店街の入口近くに高さ約30メートル、樹齢約1000年と推定される国指定天然記念物の神代(じんだい)ケヤキがある。335段の石段を上り詰めた武蔵御嶽神社からの眺望はすばらしい。七代(ななよ)の滝近くの天狗(てんぐ)岩あたりから綾広(あやひろ)の滝の上まで約1キロメートルの奥御岳渓谷(ロックガーデン)は、春のコノハズクと秋のカンタンで知られる。武蔵御嶽神社の赤縅鎧、円文螺鈿鏡鞍は国宝。

[沢田 清]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御岳山」の意味・わかりやすい解説

御岳山
みたけさん

東京都北西部,青梅市西部にある山。標高 940m。ケーブルカー,リフトが設けられ,山頂に御嶽神社がある。ここは中世以降,関東における山伏信仰の中心地であった。現在,秩父多摩甲斐国立公園の一部となり,夏の林間学校や都民のレジャー地としてにぎわう。山上の御師 (おし) 集落は宿泊に利用されている。

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事典・日本の観光資源 「御岳山」の解説

御岳山

(東京都青梅市)
森林浴の森100選」指定の観光名所。

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