信仰の山として蔵王権現が勧請された時期はつまびらかではないが、天平八年(七三六)の創立とする所伝もあり、古くは「延喜式」神名帳に記す多摩郡八座の一つ「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都西部,青梅市にある山。標高929m。金峰山(きんぷせん),武州御岳(嶽)ともいう。江戸西方の蔵王信仰の山として知られる。全山うっそうたる森林におおわれ,山頂に御岳神社が鎮座する。神明造の荘厳な社殿をもち,境内は広い。南方約2kmの男具那ノ峰(1070m)に奥の院があり,秩父連山や伊豆諸島までの雄大な展望が開ける。またコノハズクなど野鳥が多く生息する。御岳山頂へは北東麓の滝本からケーブルカーが通じる。秩父多摩国立公園に属する東京近郊の行楽地。神社には国宝赤糸威鎧がある。
執筆者:徳久 球雄
金峰山の別名にみるように,修験道の中心地として知られる吉野金峰山を勧請したもので,関東における代表的な修験道場であった。特に近世には,権現の眷属神である山犬(狼)が邪鬼,火盗の難を除くとする民間の御犬信仰と融合して広い信仰圏を形成した。江戸町人の間に御岳講が組織され,山上や山麓に拠点を置いた御師(おし)が信仰の普及に大きな力をもった。
御岳山の組織運営に関してとくに注目すべきは,三方(さんぽう)相談の制である。これは神主,世尊寺,御師と3者の衆議によって一山の運営を行うものである。神主は御岳山中興の祖国兼の子孫と伝え,世襲制で,本社内陣の管理と牛王(ごおう)の祈禱札を発行してきたのに対し,世尊寺は醍醐寺三宝院の末寺に属し,本社外陣の管理と護摩札を発行してきた。しかし1788年(天明8)に世尊寺は社木の無断伐採によって廃寺処分を受け,三方相談の制度も消滅した。
執筆者:宮本 袈裟雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都青梅市(おうめし)の南西端にある山。標高929メートル。甲州御岳に対し武州御岳(ぶしゅうみたけ)ともよばれる。JR青梅線御嶽(みたけ)駅からバスが御岳登山鉄道のケーブルカーに連絡している。鉄道の両側はツツジとヤマブキが美しい。山頂に慶長(けいちょう)年間(1596~1615)徳川家康が江戸城鎮護の社(やしろ)として再建した武蔵御嶽神社がある。江戸町民の信仰が厚く、御嶽講によって御岳参りが盛んであった。参道には参詣(さんけい)者の宿泊所として約40戸の御師(おし)集落があり、土産(みやげ)品店街の入口近くに高さ約30メートル、樹齢約1000年と推定される国指定天然記念物の神代(じんだい)ケヤキがある。335段の石段を上り詰めた武蔵御嶽神社からの眺望はすばらしい。七代(ななよ)の滝近くの天狗(てんぐ)岩あたりから綾広(あやひろ)の滝の上まで約1キロメートルの奥御岳渓谷(ロックガーデン)は、春のコノハズクと秋のカンタンで知られる。武蔵御嶽神社の赤縅鎧、円文螺鈿鏡鞍は国宝。
[沢田 清]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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