徳佐八幡宮
とくさはちまんぐう
[現在地名]阿東町大字徳佐中
徳佐市を中心とした市街地の東方荒神山に鎮座し、宝清山八幡宮とも称した。祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后などで、寿永元年(一一八二)豊前国宇佐八幡宮(現大分県宇佐市)を勧請したと伝える。旧県社。
社殿は往古は古宮山とよばれる地にあったが延宝七年(一六七九)に焼け、同八年現在の地に遷座。その折の棟札に、
<資料は省略されています>
とある。
「注進案」によれば、徳佐上村の宝亀山八幡宮に伝来する、元禄四年(一六九一)の「覚書を以申上候事」という文書写があるが、その内容は徳佐八幡宮のものとされ、仁治元年(一二四〇)八月付の社規式があり、舞楽の演じられたことを記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 