江戸前期の俳人。姓は斎藤,名は元信,通称は斎宮頭,入道して徳元。別号は帆亭。織田秀信の代官正印軒元忠の子。岐阜の人。里村昌琢門。文禄年間(1592-96)豊臣秀次に仕官,このころに《近衛三藐院(さんみやくいん)点独吟魚鳥俳諧》が成る。のち秀信に仕え,1600年(慶長5)42歳の秋,関ヶ原敗戦によって美濃加治田村へ退き,若狭に亡命,京極忠高に小姓衆として仕官する。《塵塚誹諧集》冒頭には,〈雪や先とけてみづのえねの今年〉(1612)の歳旦句が見える。26年(寛永3)春,忠高に扈従(こじゆう)して上京,在京の間に昌琢や貞徳と交流し,八条宮家にも出入りした。《尤草紙(もつとものそうし)》もそのころの成立である。28年冬,江戸に下り浅草に定住したらしい。以後は玄札,未得らの草創期江戸俳壇に長老として活躍する。作風は《誹諧初学抄》で心の俳諧を説いているが,作品には賦物(ふしもの)が多く,また優婉な趣を見せている。著作はほかに《徳元独吟千句》(1628成立),《関東下向道記》,《徳元俳諧鈔》,《徳元千句》(1632成立)等。門人の浮木斎は画像に〈筆硯彬々なる哉,弓箭,業に終ゆ〉と賛をした。辞世は〈末期には死にたはごとを月夜哉〉。
執筆者:安藤 武彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…俳諧論書。斎藤徳元著。1641年(寛永18)1月成立・刊。…
…目録題は《尤之双紙》。斎藤徳元(とくげん)の匿名作で八条宮智忠親王の加筆になる。1632年(寛永9)6月,京都恩阿斎刊。…
※「徳元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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