徳大寺跡(読み)とくだいじあと

日本歴史地名大系 「徳大寺跡」の解説

徳大寺跡
とくだいじあと

京都市右京区龍安寺御陵りようあんじごりようした町辺りにあった寺。「山城名勝志」に「今龍安寺主山、得大寺旧蹟也」とあり、得大とくだい寺の名をあげるが、「龍安寺与等持院間在地、与得大寺同所也」とも記す。龍安りようあん寺とその付近の地と考えられる。平安末期、左大臣藤原実能(保元二年没)衣笠きぬがさ山の南西麓に山荘を営み徳大寺家の祖とされたが、徳大寺の名はすでに「左経記」長元八年(一〇三五)八月六日条に「去夜右兵衛督尊堂卒去、寅剋入棺、今夜可移徳大寺云々」とみえ、寺としては平安中期からあり、その辺りが徳大寺の名でよばれていたらしい。実能も山荘の域内に得大寺という寺を建てたらしく、藤原頼長の「台記」久安三年(一一四七)六月五日条に「今日、右大将実能卿供養徳大寺辺堂」とあり、また「山槐記」永暦元年(一一六〇)九月二〇日条には一七日に「於得大寺馬場、又馳御馬云々、此所ハ右大将領也」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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