20世紀日本人名事典 「徳川幹子」の解説
徳川 幹子
トクガワ モトコ
昭和期の社会運動家 茨城県婦人会館初代理事長;元・全日本開拓者連盟婦人部長。
- 生年
- 明治35(1902)年12月8日
- 没年
- 平成8(1996)年9月17日
- 出生地
- 東京
- 出身地
- 鳥取県
- 旧姓(旧名)
- 池田
- 学歴〔年〕
- 女子学習院〔大正9年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲五等宝冠章,茨城賞
- 経歴
- 旧鳥取藩主池田家の出で、学習院女子部では良子皇太后(香淳皇后)のご学友。水戸の御三家の血を引く徳川宗敬に嫁した。敗戦と共に華族から一転、開拓農民となった。昭和21年6月水戸郊外の薪炭林に入植。30年全日本開拓者連盟婦人部の初代部長となって全国の開拓地を回った。また、スコットランドで開かれた世界農村婦人協議会に出席。54年茨城県婦人会館を設立、初代理事長に就任。著書に「わたしはロビンソン・クルーソー」「絹の日 土の日―ハイカラ姫一代記」。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報