徹翁義亨(読み)てっとうぎこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「徹翁義亨」の意味・わかりやすい解説

徹翁義亨
てっとうぎこう
(1295―1369)

南北朝時代の臨済(りんざい)宗の僧。出雲(いずも)(島根県東部)の人。俗姓源氏。京都建仁寺の鏡堂覚円(きょうどうかくえん)、南禅寺の約翁徳倹(やくおうとくけん)(1245―1320)に参じたのち、雲居寺(うんごじ)の宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の法を嗣(つ)いだ。1337年(延元2・建武4)宗峰の後席を継いで大徳寺に住したが、のち大徳寺山内に徳禅寺を開いて隠居した。1367年(正平22・貞治6)将軍足利義詮(あしかがよしあきら)は朝廷に奏し、大徳寺、徳禅寺の2寺を、徹翁義亨の弟子が住職する度弟院(つちえん)とした。また天竜寺(てんりゅうじ)に招かれたが固辞し、1369年(正平24・応安2)5月15日示寂。大祖正眼禅師(しょうげんぜんじ)と諡(おくりな)され、のち沢庵(たくあん)の奏により、後水尾(ごみずのお)天皇より天応大現(てんのうたいげん)国師と追諡(ついし)された。著に『徹翁和尚(わじょう)語録』2巻がある。

[中尾良信 2017年9月19日]

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関連語 藤岡

改訂新版 世界大百科事典 「徹翁義亨」の意味・わかりやすい解説

徹翁義亨 (てっとうぎこう)
生没年:1295-1369(永仁3-正平24・応安2)

〈てつおうぎこう〉ともいう。南北朝時代の臨済宗の僧。出雲国(島根県)に生まれた。おそらく出雲守護佐々木氏の一族であろう。19歳で出家し,上洛して建仁寺の鏡堂覚円(きようどうかくえん),南禅寺の通翁鏡円(つうおうきようえん)に参じたが,五山の禅風にあきたらず,東山の雲居(うんご)庵に隠棲していた宗峰妙超(しゆうほうみようちよう)(大灯国師)の門に入り,その法を継いだ。妙超が大徳寺を開くとこれに随い,妙超没後の1338年(延元3・暦応1),勅により大徳寺2世として入寺し,別に寺前に徳禅寺を建立した。大徳寺七ヵ条制法や徳禅寺法度を定めるなど,寺の運営に力を注ぎ,大徳寺の寺基を固めるとともに,大灯門派興隆の基礎をつくった。また,後円融上皇や足利義詮など公武の厚い帰依を受けた。1528年(享禄1)後奈良天皇より大祖正眼禅師,1638年(寛永15)後水尾上皇より天応大現国師と勅諡(ちよくし)された。《徹翁和尚語録》2巻がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徹翁義亨」の解説

徹翁義亨 てっとう-ぎこう

1295-1369 鎌倉-南北朝時代の僧。
永仁(えいにん)3年生まれ。臨済(りんざい)宗。京都建仁寺の鏡堂覚円のもとで出家,宗峰(しゅうほう)妙超の法をつぐ。暦応(りゃくおう)元=延元3年大徳寺1世となり,法度(はっと)を制定する。のち徳禅寺をひらき隠居。応安2=正平(しょうへい)24年5月15日死去。75歳。出雲(いずも)(島根県)出身。諡号(しごう)は大祖正眼禅師,天応大現国師。語録に「徹翁和尚語録」。

徹翁義亨 てつおう-ぎこう

てっとう-ぎこう

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世界大百科事典(旧版)内の徹翁義亨の言及

【徹翁義亨】より

…〈てつおうぎこう〉ともいう。南北朝時代の臨済宗の僧。出雲国(島根県)に生まれた。おそらく出雲守護佐々木氏の一族であろう。19歳で出家し,上洛して建仁寺の鏡堂覚円(きようどうかくえん),南禅寺の通翁鏡円(つうおうきようえん)に参じたが,五山の禅風にあきたらず,東山の雲居(うんご)庵に隠棲していた宗峰妙超(しゆうほうみようちよう)(大灯国師)の門に入り,その法を継いだ。妙超が大徳寺を開くとこれに随い,妙超没後の1338年(延元3∥暦応1),勅により大徳寺2世として入寺し,別に寺前に徳禅寺を建立した。…

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