徽典館(読み)きてんかん

精選版 日本国語大辞典 「徽典館」の意味・読み・例文・類語

きてん‐かん‥クヮン【徽典館】

  1. 江戸時代、寛政年間(一七八九‐一八〇一)に江戸幕府甲府に創設して、甲府勤番子弟を教えた学校庶民にも入所を許した。学頭昌平坂学問所教授が毎年交替で勤め、その教課書経を主とし、別に医学所が設けられ、漢方をも講義した。明治維新後も継続したが、明治五年(一八七二学制がしかれたことによって廃校

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の徽典館の言及

【甲斐国】より

…廻国修行を発願し木食戒をもって各地に千体仏を刻んだ木喰行道の活動も有名である。幕府が設立した官学として徽典(きてん)館があるが,それは1796年(寛政8)ころ創設された甲府学問所に発し,1805年(文化2)大学頭林衡(たいら)の命名になる。また郷学としては石和代官山本大膳によって22年(文政5)に設置された由学館をはじめ,37年(天保8)の松声堂,42年の興譲館があいついだ。…

【甲府勤番】より

…町方支配を補佐するのが町年寄である。 勤番支配の業績として特記すべきものに徽典館(きてんかん)の設立がある。これは1796年(寛政8)大手勤番支配近藤政明が山手勤番支配永見為貞とはかって,勤番士とその子弟の教育のため幕府の許可を得て創立した甲府学問所がはじめで,1805年(文化2)大学頭林衡(たいら)によって徽典館と命名され,43年(天保14)に山手勤番支配酒井忠誨(ただみち)・大手勤番支配浅野長祚(ながとし)により学舎を大手門前に新築したものである。…

※「徽典館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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