儒教の五経の一つ。もと単に『書』といい、漢以後『尚書(しょうしょ)』とよばれ、『書経』と称するのは宋(そう)に始まる。『詩経』と並び称せられる古典のなかの古典である。編者は孔子(こうし)(孔丘)であると伝えられ、上古歴代史官の文書をもとに、堯(ぎょう)・舜(しゅん)以下、夏(か)・商(殷(いん))・周3代の帝王の事蹟(じせき)を100篇(へん)の書にまとめたという。史実のほか神話的伝承を含んでいるが、儒家はこれを天下統治の普遍的法則を示すものとして尊重した。
現行の『書経』は58篇を存するが、その伝来・真偽をめぐって重要な問題がある。秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の焚書(ふんしょ)と項羽(こうう)の咸陽(かんよう)焼打ちによる廃絶ののち、漢初ふたたび世に出た『書』は、秦の博士伏生(ふくせい)が伝えた29篇(序の1篇を含む)で、漢代通行の隷書(れいしょ)で書かれていたので『今文(きんぶん)尚書』という。その後、孔子の旧宅の壁中から、今文より16篇多い『書』が発見されたが、古代の蝌蚪(かと)文字で書かれていたので『古文尚書』とよばれた。この『古文尚書』は前漢の武帝(ぶてい)のとき孔安国(こうあんこく)が読み伝授したが、西晋(せいしん)末の永嘉(えいか)の乱に失われてしまった。ところが4世紀の初め、東晋の梅賾(ばいさく)が孔安国伝と称する『古文尚書』58篇を朝廷に奉ったのである。その内容は、今文の28篇を33篇に分け、これに偽作の25篇を加え、もと1篇の序は分割して各篇首に配し、かつ全篇にわたってこれまた偽作の孔安国の伝(注釈)をつけたものであった。これを『偽古文尚書』という。唐初、孔穎達(くようだつ)らが勅命によって『五経正義』を著したときには、まだ偽作のことは明らかでなく、『尚書』の正義(疏(そ)ともいい、注釈のこと)はこの本に依拠し孔伝を祖述したために、これが正統的な地位を得て継承されることになった。しかし、南宋(そう)の蔡沈(さいちん)が師朱子(しゅし)(朱熹(しゅき))の意を受けて注釈を施した『書集伝』では、今文・古文の区別に留意し、序と孔伝を疑って採用していない。清(しん)初、閻若璩(えんじゃくきょ)の考証『尚書古文疏証』に至って、偽作の様相は逐一明らかにされたのであった。今文の28篇(現行33篇)を『真古文尚書』と称する学者もある。
[廣常人世]
『諸橋轍次著『経学研究序説』(1936・目黒書店)』▽『平岡武夫著『経書の成立』(1946・全国書房)』▽『小林信明著『古文尚書の研究』(1959・大修館書店)』▽『松本雅明著『春秋戦国における尚書の展開』(1966・風間書房)』▽『加藤常賢著『真古文尚書集釈』(1964・明治書院)』▽『赤塚忠訳『中国古典文学大系1 書経・易経(抄)』(1972・平凡社)』▽『池田末利訳注『全釈漢文大系11 尚書』(1975・集英社)』▽『陳夢家著『尚書通論』(1957・上海商務印書館)』▽『張西堂著『尚書引論』(1958・西安陝西人民出版社)』
中国の経書。五経の一つ。先秦では単に《書》といい,漢代からは《尚書》と呼ばれ,宋以後《書経》と称される。《書》は史官の記録に由来する中国最古の文献であり,早くから民族の古典として尊ばれており,儒家はそれを自己の経典としたのである。周王朝の創業者である文王,武王,周公を主人公とする諸編,〈周書〉のいわゆる五誥(ごこう)がその根幹であった。ところが諸子百家との論争がさかんに展開されるころに,儒家の理念を投影した尭・舜の世の記録(〈虞書〉)や,禹および夏王朝の記録(〈夏書〉),殷王朝の記録(〈商書〉)が加上された。下限は秦の穆公(ぼくこう)(前7世紀)まで収められ,最終的には戦国時代の儒家の徒によって整理の手が加えられたと思われる。それゆえ《書経》には古代の強圧的な支配の様相もうかがわれるが,天命をおそれて人命を大切にし,徳を修めて刑罰を慎重にすべきことなど,政治倫理の理想がもられており,儒家の正統思想の源泉となる。また行事を記録した《春秋》の記事体と並んで,王者の言辞を記録した《書経》の記言体は,後世の歴史叙述の基本形式となる。
孔子のとき100編あったというが,秦の焚書を経て,漢の初めに済南の伏生が伝えたのは28編だけであり,これは漢代通行の文字(隷書)に書き写されたので《今文尚書(きんぶんしようしよ)》と呼ばれる。その後,武帝のとき孔子の旧宅の壁の中から今文28編より16編多く,古体の文字で書かれた《古文尚書》が現れた。これらは後漢から三国時代まで行われ,西晋末の戦乱で散逸した。東晋の元帝のときに梅賾(ばいさく)が《古文尚書》を献上し,これには孔安国の伝(注釈)もついていた。その内容は今文28編に当たる部分を分けて33編とし,これ以外に〈大禹謨〉〈五子之歌〉などの25編が備わったものである。この58編が真の《古文尚書》と信ぜられ,唐の孔穎達(くようだつ)が勅命をうけて《五経正義》を著したときも,その後の科挙の試験にも採用されて,絶大な権威を保ちつづけた。現存の《書経》である。しかし宋の朱熹(子)いらい疑惑がもたれ,ついに清の閻若璩(えんじやくきよ)《古文尚書疏証》と恵棟の《古文尚書考》によって,〈大禹謨〉などの25編は魏・晋のころの偽作であることが論破された。孔安国の伝も偽作ときめつけられ,〈偽孔伝〉と呼ばれるが,《書経》につけられた数多くの注釈のなかでは第一級の価値をもつものであり,朱熹の弟子の蔡沈が作った注釈《書集伝》が新注といわれるのに対して,古注と呼ばれる。
執筆者:日原 利国
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儒教の経典五経の一つ。『書』『尚書』(しょうしょ)『書経』など時代によって名称が異なる。虞書(ぐしょ),夏書,商書,周書に分かれ,堯(ぎょう),舜(しゅん)以降各代の記録を収める。周公旦に関する記録を中心に,他の前後の記録を加えて戦国時代に成立したものとみられる。秦の焚書(ふんしょ)で散逸,前漢の伏生(ふくしょう)が伝えた今文(きんぶん)尚書と,孔安国の伝を東晋のとき偽作した古文尚書とが伝存した。
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…金文の辞を作ったのは史官であって,史官の職は文書・記録をつかさどることにあった。《書経》は明らかに史官によって作られ,伝えられたに違いない。王朝や諸侯の国の年代記を作ったのも彼らである。…
…インドでは天,地,人を区別せず,パクダ・カッチャーヤナのように地,水,火,風,苦,楽,魂を要素とするような哲学をつくったが,これらは構成要素であって分類とはいえず,普遍者を重んじるインドでは一般に博物学は発達しなかった。中国では,《書経》で五行,五事,八政,五紀,三徳,五福,六極など〈九疇(ちゆう)〉と呼ばれるカテゴリーが展開され,《易経》では陰と陽にもとづく体系がつくられたが,いずれも事物の性質やふるまいを規定するものと考えられ,事物を分類する枠組みとはいいがたい。分類としては《易経》の〈繫辞伝〉に出てくる〈三材〉(天,地,人)や明代にできた博物誌《三才図会》の14門があげられる(図2)。…
※「書経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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