日本歴史地名大系 「心岳寺跡」の解説 心岳寺跡しんがくじあと 鹿児島県:鹿児島市旧鹿児島郡・日置郡地区吉野村心岳寺跡[現在地名]鹿児島市吉野町 平松国道一〇号沿い、姶良(あいら)町境に位置した曹洞宗寺院で、鹿児島湾に臨み、背後の吉野(よしの)台地からは急流の小川(竜ヶ水)が流れる。滝水山と号し、本尊は釈迦如来であった。慶長四年(一五九九)島津義久が弟歳久の菩提を弔うために創建したという。福昌寺一八世代賢を開山に迎え、袍厳竜強が初代住職であった。なお「三国名勝図会」では帖佐(ちようさ)郷脇元(わきもと)村(現姶良町)の滝ヶ水(竜ヶ水)に所在したとされており、近世の当地は帖佐郷の飛地であった。島津歳久は豊臣秀吉の九州仕置の際に徹底抗戦を主張して秀吉の勘気に触れ、天正二〇年(一五九二)七月一八日、当地で義久の追手に追詰められて自害した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by