日本歴史地名大系 「吉野村」の解説
吉野村
よしのむら
慶長二〇年(一六一五)三月一六日の鹿児島御支配所知行名寄帳(旧記雑録)によれば、井畔弐介に吉野村のうちと
吉野村
よしのむら
南端は標高五六五メートル、北端は標高五五〇メートルで、南西から北東に向かって緩傾斜の
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
相模川上流左岸、
近世は初め幕府直轄領、寛文四年(一六六四)久世(のち下総関宿藩)領、貞享元年(一六八四)幕府直轄領。
吉野村
よしのむら
もとは
吉野村
よしのむら
吉野川下流域に位置する。東は
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「吉野村 茅山有、川有、村下ヲ流、井手不被上、日損所」と村名がみえ、吉野川が村下を流れているため灌漑に不利で、干害を受けやすい村であった。吉田藩領。
太閤検地(天正一五年―文禄三年)の石高は六四三石六斗四升で、正保検地(正保二―四年)では七〇三石六斗二升七合となっている。
「吉田古記」によると、当村の円通山
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
- 埼玉県:幸手市
- 吉野村
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
- 宮崎県:宮崎市
- 吉野村
東流する
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
- 富山県:魚津市
- 吉野村
吉野村
よしのむら
吉野村
よしのむら
西押川村の北に位置。押川村の枝村新田として、明暦四年(一六五八)から延宝年中(一六七三―八一)までに村立てされ、高五七石余(元禄一一年「古田新田高村付改帳」前田家文書)。富山藩領。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)では高四〇石余。寛政二年(一七九〇)の高物成品々手鏡では請免高四〇石余・免三ツ一歩一厘、新田高二〇石余・平均免六歩五厘余、銀納畑九九一歩。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報