忍足左内(読み)おしたり・さない

朝日日本歴史人物事典 「忍足左内」の解説

忍足左内

没年明和8(1771)
生年:生年不詳
江戸中期の義民。明和7(1770)年安房国(千葉県)勝山藩(藩主・酒井忠隣)では,数年来不作の連続であった。特に平郡金尾谷,小原,白坂,深名の4カ村の被害は甚大で,4カ村の代表は,年貢減免を嘆願した。藩の実力者稲葉重左衛門は,私的理由から深名村のみの減免を認め,他を拒否した。残る3カ村の代表は,江戸藩邸への門訴決行,この内の頭取のひとりが忍足左内である。彼らは,目的を達成できず,帰村したところを稲葉に捕縛された。失政の発覚を恐れる稲葉は,藩主の指示を無視し,入牢中の左内を死刑に処した。なお,左内は後世義民として顕彰され,石碑が建てられた。<参考文献>『房総通史』,『千葉県史』明治編

(須田努)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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